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2007年5月

「我ぞ覇者」

早慶戦は、早稲田・慶応両校にとって特別なイベントであることは皆さんご承知の通りです。ゆえに早慶戦限定の応援歌、勝利した時しか歌えない歌、見ることのできない芸などが数多く存在しています。

早稲田勝利の時しか歌えない歌として有名なのは「早稲田の栄光」。負けた時は「えんじの唄」となってしまいます。また、歴史と伝統を受け継ぐ応援部の凄い技「勝利の拍手」、これも早稲田勝利のときしか見ることができません。

一方、慶応にも「早稲田の栄光」と同じく早慶戦勝利の時しか歌うことのできない「丘の上」という名曲があります。近年、早慶戦10連敗を喫していた頃は、「丘の上の歌詞を忘れてしまうのではないか、幻の名曲が本当に幻になってしまうのではないか?」なんていう余計な心配をしていました。さて今年は何回「丘の上」を歌うことができるでしょうか。

また慶応の応援歌には、普段と違う歌詞、すなわち早慶戦バージョンの特別な歌詞で歌われる応援歌もあります。

昭和21年につくられた「我ぞ覇者」です。作詞は藤浦洸氏、作曲はあの有名な早稲田の応援歌「紺碧の空」をつくった古関裕而氏です。塾4回の攻撃が始まる時に歌われますが、早慶戦では特別バージョンとなります。

「我ぞ覇者」

♪好くぞ 来たれり 好敵 早稲田

 天日の下にぞ 戦わん

 精鋭我にあり 力ぞ溢れたり

 おお打てよ 砕け 早稲田を倒せ

 慶応 慶応 慶応義塾

 叫べよ 高く 覇者の名を♪

決して、「♪覇~者、覇~者、わ・せ・だ~♪」(紺碧の空)ではありませんのでお間違えのないように。

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早慶戦は応援合戦も素晴らしい。

早慶戦は試合はもちろんですが、両校応援も盛り上がります。特に学生席は9時開門と同時に埋まり始め、13時試合開始というのに10時半ごろにはほぼ一杯となります。というのも、早稲田大学応援部・慶応義塾大学応援指導部による応援合戦が始まるからです。一塁側(早稲田側)で早慶戦を観たことがないので、三塁側(慶応側)を中心で話を進めます。

学生席での人の移動が落ち着き始めた11時ちょっと前から、慶応チアリーダー・メジャレッツによる華麗なるダンス、応援指導部の将来を担うであろう有望な部員たちによる演芸?(これがなかなか○△□◎…???)の披露、応援方法の指導・説明、外野学生席との掛け合い「お~い、外野~、今日も~、○◎▲か~?」などなど…あっという間に時間が過ぎていきます。

11時45分頃になると陣中見舞いと称して、慶応学生席に早稲田大学応援部幹部が、早稲田学生席に塾応援指導部幹部が出向きそれぞれの応援歌などを披露します。そして相手校幹部の指揮により、早慶戦でしか歌われない「早慶賛歌」を早慶スタンドが一体となって同時に斉唱するのです。ここが最初の感動ポイントです。学生はもちろん退席不可・起立・脱帽・飲食禁止・サングラス等ははずさなければなりません。同様にしている一般席の観衆のみなさんも多数います。

一息入って、12時20分頃になると第2の感動ポイント「塾旗入場」です。伝統の早慶戦を見守る為に、慶応讃歌のメロディーに合わせて「最も大きく、最も美しい」第一塾旗、「最も端麗で、最も荘厳な」第二塾旗、「最も華麗で、最も格調高い」第三塾旗が次々に登場します。この光景はいつ見ても胸がジーンとなり、目頭が熱くなります。この時も早慶賛歌斉唱時と同様です。休憩中にジュースなどの買出しにいって、塾旗入場までに着席できない時はスタンド入口を封鎖されてしまい締め出されてしまうの要注意です。

塾旗入場が終わると塾歌斉唱、早慶スタンドによるエールの交換があり、気がつくと試合開始直前になっています。

早慶戦にはじめて行ってみようと思われている方がいらっしゃいましたら、ぜひ試合前の応援合戦も体験してみてください。早慶の関係者でなくても早慶戦の歴史と伝統に触れることができて、より一層早慶戦の素晴らしさが実感できると思います。学生席の近くの席がおススメです。

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「三色旗の下に」

慶応義塾大学の応援歌で真っ先に思い浮かぶのはおそらく「若き血」だと思います。もちろん私も「若き血」は大好きなのですが、この名曲以外にも、素晴らしい応援歌がたくさんあります。

私が一押しなのは「三色旗の下に」です。三色旗とは勿論慶応義塾の塾旗のことです。ブルー・レッド&ブルーなので実際には二色旗ですが、塾では三色旗といいます。納得できない人には、塾のシンボル「交差するペン」が黄色く染め抜かれている為三色ということで…まあ堅いこといわないで大目にみてください。昭和15年につくられ今に歌い継がれる名曲です。作詞は藤浦洸氏、作曲はあの藤山一郎氏です。

この曲は東京六大学野球リーグ戦で塾野球部の三回の攻撃が始まる時に歌う曲です(得点が入った時にもサビの部分が演奏されます)。三色旗の「三」と三回の攻撃の「三」を引っ掛けているという噂もありますが、本当かどうか定かではありません。軽快なメロディと、士気を鼓舞する歌詞が絶妙にマッチし、塾生・塾員も結構好きな方がいらっしゃるのではないでしょうか?しかも比較的短い歌なので覚えやすいと思いますので、皆さんも是非覚えて神宮で一緒に歌いましょう!

「三色旗の下に」

♪仰げば 青空高く われらが誇りの三色旗

 見よ 伝統の色ぞ濃く 歴史の跡の 華やかに

 慶応 慶応 慶応 はえある その名

 慶応 慶応 慶応 われらが母校 ♪

 

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早慶戦名勝負 ④

1)平成12年春。早稲田が早慶戦で連勝すると優勝という状況。第1戦の初回、喜多の三塁打と三木の2ランHRで慶応が3点を先制。投げては先発の山本省吾が早稲田打線を完封、5-0で勝利し、早稲田の優勝を阻む。気落ちした早稲田は第2戦も2-5で落とし連敗。この季5位の慶応が早慶戦で意地を見せた。

2)平成12年秋。1903年に始まった早慶戦の20世紀最後の試合(3回戦)に勝ったほうが優勝という劇的な展開となった。1回、早稲田が1点を先制したが、3回に喜多がタイムリーヒットを放ち慶応が2-1と逆転。山本省吾が8安打を浴びながら、11奪三振で粘りの完投勝利。20世紀最後のリーグ戦の覇者は慶応(29回目の優勝)となった。

3)平成13年秋。慶応が長田・清見の2本柱と主砲喜多の活躍で圧倒的な強さを見せ、リーグ戦全勝で優勝を決めていた。3回目の完全全勝優勝を狙って臨んだ早慶戦初戦は、エース長田の好投で早稲田を2-1で下し、全勝優勝に王手をかけた。しかし第2戦は早稲田先発の江尻が意地をみせ13三振を奪う力投、6-0で慶応に雪辱し全勝優勝の夢を打ち砕いた。続く第3戦も早稲田の和田が、被安打4・奪三振9の好投で慶応を1-5で敗り、完全優勝までも阻止した。

4)平成17年春。早・慶がともに勝ち点4で並び、早慶戦で勝ち点を挙げた方が優勝という展開。初戦は早稲田主砲・田中の満塁HRで勝負あり。早稲田エースの宮本が、慶応・佐藤翔、岡崎にソロHRを打たれながらも粘り強く投げ、4-2で早稲田が先勝。続く第2戦は慶応が6-4で雪辱し、優勝の行方は第3戦へ。第3戦は早稲田エース宮本が慶応打線を8回1失点被安打3とほぼ完璧に抑え込み、4-1で早稲田が勝利、連盟80周年の記念の年に37回目の優勝を飾った。この試合の8回、慶応金森のHRが本塁踏み忘れにより三塁打となる珍プレーが…。反撃ムードに水を差された慶応にとっては痛すぎるプレーだった。

まだまだ取り上げたい早慶戦の名勝負はあるのですが、(早稲田仁志のサヨナラ満塁HRなど…)、それはまたの機会にしたいと思います。

今年の早慶戦は、早稲田は1勝すれば優勝、慶応は連勝で早・慶・明による優勝決定戦に持ち込めるという状況で、優勝がかかっている大一番とはいえ早稲田が圧倒的有利であることは認めざるをえません。しかし、早慶戦は違います。歴史をみてもわかりますが、早稲田に簡単に勝たせてあげるほど、慶応はお人よしではありません。順風満帆にきている斉藤佑樹投手に大学野球の洗礼を浴びせるのは、やはり永遠のライバル慶応しかいないでしょう。

今年の早慶戦が、何年か後に早慶戦名勝負として必ず取り上げられるような、熱く心が揺さぶられるような試合となるよう期待しています。

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坂井泉水さんを偲ぶ。

ZARDのVo.坂井泉水さんが亡くなりました。

さわやかなメロディと、心に響く歌詞、透き通るような歌声が印象的でした。

1993年発売の「負けないで」は、センバツ高校野球大会の行進曲にも選ばれ、15年たった今でも応援歌として歌い継がれている名曲です。辛く苦しい練習をしてきた多くの高校球児たちも、この曲で元気づけられたことだろうと思います。

まだまだ活躍が期待されていただけに、40歳という若さでの死去は残念でなりません。

ご冥福をお祈り申し上げます。

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早慶戦名勝負 ③

①.②取り上げた試合以外にも、早慶戦の名勝負はまだまだ沢山あります。各試合に思い出があって、詳しく触れたいのですが、それをしてしまうとこのブログが「早慶戦」専科になってしまいますので、これからは私が印象に残っている数試合を簡単に紹介したいと思います。

1)昭和61年春。慶応は早慶戦で勝ち点を奪えば優勝という状況。1勝1敗で迎えた第3戦、9回表終了時で2点リードしていたのだが、9回裏3点を奪われサヨナラ負け。あと一歩で優勝という慶応を、早稲田の意地が阻んだ。(この時早稲田は4位)

2)平成2年春。早慶戦第3戦の勝者が優勝という状況。6回まで3-3と白熱した展開だったが、終盤小刻みに点を加えた早稲田が、1年生大越基の完璧なリリーフで逃げ切り、創部90周年を優勝で飾った。(大越は秋開幕直前に退学してしまう。残って活躍していたらかなりの成績を残せただろうに…。残念。)

3)平成9年春。慶応先勝で迎えた第2戦。慶応のエース山本省吾(星稜OB、後に近鉄)が1回途中でKOされる展開。5回に高橋由伸が法政・田淵に並ぶ通算22号HRを放ち反撃開始。6回に逆転した慶応がそのまま逃げ切り連勝で勝点を奪い、28回目の優勝を果たす。(振り返ると、山本・高橋らこの時の慶応は人気も実力も兼ね備えた選手達が在籍していましたね。)

う~ん。まいったな~。

この③で最終回にするつもりでしたが、まだまだ書ききれないので次回④で最終回にします。

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早慶戦名勝負 ②

平成4年秋。最終週の早慶戦までの成績は、慶応8勝2敗・勝点4、早稲田7勝3敗・勝点3。早慶戦で慶応が勝点をとれば優勝、早稲田は連勝で優勝、2勝1敗ならば優勝決定戦という状況で迎えた早慶1回戦は、熾烈な戦いとなった。

8回終了時で4-3で慶応がリード。このまますんなり試合が終わるかと思えば、やはり早慶戦。そう簡単には終わらない。早稲田が9回表に猛攻4点を奪い、7-4と試合をひっくり返す。土壇場での大逆転劇に、気勢の上がる早稲田。試合の流れからしても、勝負あった!と誰もが思った。(会社を有給で休んで駆けつけた私も、正直スタンドで「うわっ、やられた」と思った。)

が、奇跡は起こる。慶応攻撃陣を引っ張ってきた印出(現東芝監督)が、その裏、起死回生の同点3ランHRを放ち、試合を振り出しに戻し延長戦に突入したのだった。9回の逆転劇で一時は沈みかけた塾応援席はこの一打で狂喜乱舞、息を吹き返した。

しかし、連勝すれば優勝できる可能性のある早稲田も簡単には引き下がらない。大きく慶応に傾いた流れを断ち切り、11回表再度勝ち越し点を奪う。

今度こそ勝負あった!と思ったのだが、11回裏慶応も粘り、2死満塁から早稲田の失策により大逆転サヨナラ勝ちを飾ったのだった。

引き続き行われた2回戦は早稲田が雪辱したが、勢いは慶応にあった。3回戦は慶応が5-0で早稲田を敗り、通算27回目の優勝を飾ることになる。このシーズン、慶応は印出・宇佐美・赤池・古葉らの攻撃陣と、松本・井深・西田ら投手陣がうまくかみ合い完全優勝を果たしたのだった。

勝負は下駄を履くまで分からない、といいますが、この試合がまさにその見本。マンガや小説でこんなストーリーを描いたら「出来過ぎた話で現実味がない」なんて馬鹿にされそうな「出来過ぎた」試合でした。

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早慶戦観戦情報。

6月2日、3日の早慶戦は両日とも午前9時開門。

前売り券は完売だが、当日券販売もある。

当日券の種類は、特別指定席券(1,300円)約1,000枚、内野席券(1,100円)約6,000枚、外野席券(700円)約5,000枚。一人5枚まで購入可。

さて、何時から並ぼうかな?

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斉藤佑樹が第1戦先発?

本日付スポーツ報知に「斉藤佑樹投手の早慶戦第1戦の先発を応武監督が決めた。」という内容の記事が掲載された。いまや斉藤は大黒柱的存在で、甲子園決勝等大舞台での経験が豊富であることが起用を決めた理由との事。

早稲田は早慶戦で1勝すれば優勝、慶応が優勝するには連勝で勝ち点を奪い、優勝決定戦に持ち込まなければならない(今週の結果次第では明治も絡む3校によるプレーオフの可能性もあり)。一見すると早稲田の圧倒的有利な状況なのだが、第1戦斉藤先発で慶応にも逆転優勝の目がでてきたかな?と素直に感じた。

早慶戦は、いくら高校最高の舞台を経験していたとしても、いくら他校と戦うリーグ戦を経験していたとしても、ちょっと様相が違う。早慶戦は早慶戦、経験したものしかわからない特別な一種独特の雰囲気がある。ましてや今年の早慶戦は、神宮球場が満員になることは必至。学生だけでなくOBらも多数駆けつけ神宮球場を二分して繰り広げられる大声援の応援合戦、伝統と歴史からうまれる目に見えない重圧。ただでさえ大変なプレッシャーと戦わなければならないのに、今年は優勝決定試合なのだ。早慶戦未経験の斉藤は慶応打線と戦う以前に、克服しなければならない目に見えない敵が多すぎるような気がするのだ。

一方、斉藤と対戦する慶応は、佐藤翔・青池・大伴・宮田ら主力打者と、エース加藤・相澤らは早慶戦経験者。しかも今年は、立場的には早稲田を追う挑戦者であり、負けたら終りという開き直って戦える強みがある。

もし仮に第1戦で早稲田・斉藤を打ち崩し慶応が先勝したとすれば、第2戦で登板するであろう早稲田の須田は、自身エースナンバー11を背負いながら初戦の先発を斉藤にとられた上に、更に絶対に負けられないというプレッシャーまで背負わなければならない。あの斉藤を打ち崩し、逆転優勝の目が出て気勢の上がる慶応打線の勢いを封じることは容易でない。

早稲田は今までの戦い方のように、第1戦須田、第2戦斉藤で早慶戦に臨む方がいいのではないか?須田は早稲田のエースである。もちろん早慶戦経験者でもあるし、翌日には切り札斉藤が控えているという精神的余裕を持つことで、第1戦を戦うことができることは大きい。早稲田の応武監督は、斉藤起用で初戦で一気に優勝を決めてしまおう、と考えているようだが、斉藤で初戦を落とした時のダメージは計り知れない。2戦のうち1勝を取るというスタンスでいたほうがいい結果が得られると思うのだ。

ズバリ、慶応は初戦の斉藤を攻略できれば、逆転優勝。

絶対に斉藤を打ち崩せ。大学野球の怖さを思い知らせてやるんだ!

……でも、「斉藤佑樹はやっぱり凄かったなぁ」なんていう結果になるかもしれない。

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早慶戦名勝負 ①

いよいよ東京六大学野球春季リーグ戦のクライマックス、早慶戦が6月2日、3日に行われます。伝統の一戦ということで、これまで数々の名勝負が繰り広げられてきました。これから何回かに分けて、その名勝負の軌跡を振り返ってみたいと思います。

東京六大学リーグにおける早慶戦の通算成績は、早稲田196勝・慶応163勝・10引き分けで計369試合行われています。369試合全てを振り返るわけには行きませんので、私が直接観戦した早慶戦の中から独断と偏見によって取り上げてみたいと思います。昭和35年秋の早慶6連戦などについては別の機会にしたいと思いますので、ご容赦ください。

まず第1回目に取り上げるのは、昭和60年秋の早慶2回戦です。

慶応は、鈴木哲・志村亮の2本柱と、仲沢伸一・相場勤の強打の2枚看板の活躍により、明治戦で既に26シーズンぶりの優勝を決めていた。しかしこの早慶戦は、慶応の57年ぶりの全勝優勝がかかっており、選手のモチベーションは優勝決定後も更にヒートアップしていた。そして迎えた早慶第1戦は志村亮が先発、おまけにリーグ戦史上初となる投手の満塁HRを放つなど投打の活躍を見せ早稲田を圧倒し、全勝優勝に王手をかけた。

第2戦は2本柱の一人鈴木哲が先発した。神宮は観衆が4万人を越え、早慶戦プラス全勝優勝がかかる一戦ということで、一種独特の異様な雰囲気に包まれていた。この雰囲気に呑まれたのか、いつもはひょうひょうと投げる鈴木哲も今一つ自分のピッチングができなかった。毎回のようにランナーを背負っていたが、早稲田の拙攻に助けられなんとか1失点で凌いでいた。慶応自慢の攻撃陣も、この早稲田先発の下山を打ち崩せない。試合は1-0で早稲田リードのまま7回に突入した。

7回表、慶応先頭の相場が左前安打を放つと、仲沢が中前に連続安打で続き1・3塁のチャンスをつかむ。仲沢2盗後、芳賀が中前にタイムリーを打ち相場・仲沢が相次いでホームイン。ついに早稲田を逆転する。

しかしその裏、逆転したことにより一層のプレッシャーがのしかかった鈴木哲を、早稲田が一死満塁と攻め立て、全勝優勝阻止にむけて必死の抵抗を試みていた。この絶体絶命の大ピンチに、慶応・前田監督は、エース志村をマウンドにおくる。緊急登板となった志村だが、このピンチにも動じることなくひょうひょうと後続を打ち取り、早稲田に得点を許さなかった。

この7回の攻防で、全勝優勝の呪縛が解けたのか、慶応は9回には相場がレフトスタンドへ弾丸ライナーのHRを打ち込み、勝負あり。最後は志村が早稲田打線をぴしゃりと抑え、3-1で早慶2回戦をモノにした。と同時に慶応26季ぶりの優勝を、完全・全勝優勝で飾ることになり、三色旗をモチーフにしたストッキングに昭和3年以来の2本目の白線がいれられることとなった。

優勝が決まっていようがなかろうが、その季不調だろうがなかろうが、そんなことは一切関係ないのが「早慶戦」。「他に負けても早稲田(慶応)だけには絶対に負けるな!」という意地と意地のぶつかり合いが、数々の名勝負を生む要因なのでしょう。

次回の早慶戦名勝負②は、平成4年秋の早慶1回戦の予定です。

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伝説の始まり。

久しぶりに映画の話。

今から30年前の今日(5月25日)に、ある伝説の映画が全米で公開されました。さてその映画とは?

ヒント1。世界のクロサワはこの映画を、「汚れがいいね。」と評した。

ヒント2。シリーズ化された物語は、全て同じ文言から始まる。

ヒント3。全6作品すべてに登場するのは、ロボット(ドロイド)二体である。

正解は、「スターウォーズ」です。後に、「エピソードⅣ・新たなる希望」という副題がつけられることになった第1作目の全米封切りの日が、1977年5月25日なのです。今から30年前のことです。(日本公開は1978年)

私も「スターウォーズ」、観に行きました。有楽町の日劇のスクリーンだったような気がします。(ちょっと記憶が定かでは有りませんが…)9歳の子供にとって、スクリーンに映し出される、今まで見たことのないような現実的でスピード感あふれる映像は、その全てが圧倒的で衝撃的でした。映像だけでなく、描き出されている世界観にもどっぷりはまってしまいました。

もちろん、全6作品+3作品(旧3部作の完全版)は劇場(延べ30回くらい観にいっているかな?)で鑑賞し、DVDプレーヤーを購入することになったきっかけの映画でもあります。2人の子供に「ジェダイ」と「フォース」の崇高さを切々と説き、妻から「スターウォーズ」禁止令が出されることもありました。(というより、現在も禁止令継続中でDVDは隠されてしまって、どこにあるかわかりません。)

一番の衝撃を受けた場面は、Ⅳのクライマックスですね。デススターの心臓部からつながる熱排出口にプロトン魚雷を打ち込むため、ルークら反乱軍の小型戦闘機の編隊がデススターに突入して繰り広げられる戦闘シーンです。それまでのSF映画に見られなかったリアルな映像とスピード感に圧倒されました。全6作品の中でも、No1だと思います。

ということで、「スターウォーズ」についてはまだまだ書きたいことが山のようにありますが、またの機会にしたいと思います。

ということで、早くSW禁止令を解除してくれないかな~。

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早慶戦まで、あと10日。

慶応義塾(塾高)ベスト4進出という素晴らしい成績で、個人的に大いに盛り上がった春季高校野球関東大会が今日閉幕しました。

さあ、これからは東京六大学野球に集中です。

今週末の明法戦の勝敗の行方も気になりますが、気持ちは既に最終週の早慶戦です。早稲田が強いのは百も承知。ただどんな勝負の世界でも一人勝ち状態というのはイマイチ盛り上がりません。大相撲の朝青龍がいい例です。やはり、星飛雄馬には花形満、墨谷二中には青葉学院、山田太郎には雲竜と不知火、孫悟空にはピッコロ大魔王、アムロにはシャア…強力なライバルが存在しなければならないのです。そして、「早稲田」には「慶応義塾」という好敵手が…。

早・慶の大学同士もライバルならば、戦う選手たちもライバル同士。第1戦は早稲田・須田VS慶応・加藤のエース対決。第2戦は選手権大会優勝・斉藤佑樹VSセンバツベスト8・中林伸陽の対決。早稲田投手陣VS慶応攻撃陣(佐藤翔・松尾ら)の対決。見どころ満載、注目度◎の早慶戦は6月2日、3日に行われます。そして優勝決定戦は6月4日です。

「いけ~!慶応!絶対に早稲田にだけは負けるな!」

慶応は早稲田の引き立て役に甘んじるつもりは毛頭ありません。早慶3連戦(優勝決定戦含む)3連勝で奇跡の大逆転優勝を必ずや成し遂げてくれると信じています。

弟分の塾高野球部の部訓の一つに、「勝負にはとことんこだわれ。30対0で負けていても逆転すれば世間はそれを奇跡というんだ。自分で自分の逃げ道をつくるんじゃない」というものがあります。

兄貴分の塾野球部も、この言葉を胸に一世一代の大勝負、奮起を期待します。

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関東大会優勝は…。

神奈川で開催されている春季高校野球関東大会の決勝が行われ、千葉経大附が甲府商業に10-1で勝ちました。

千葉経大附ナイン、および関係者の皆さん、優勝おめでとうございます。

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塾高、ベスト4で敗退。~春季高校野球関東大会準決勝の結果~

22日、春季高校野球関東大会準決勝2試合が横浜スタジアムで行われました。

第1試合はセンバツ出場の千葉経大附が、東京の日大三を10-2のコールドで下し、決勝進出を決めました。第2試合は、甲府商業と慶応義塾が対戦し、甲府の米田投手が今大会打線好調の慶応打線を完封し、2-0で勝ちました。

この結果、春の関東No1の座をかけて、千葉経大附と甲府商業が明日の決勝を戦います。

さて、慶応義塾(塾高)は甲府の米田投手を捕まえることが最後までできませんでした。打線は水モノとはよく言ったもので、好投手と対戦するとなかなか点を奪うことができません。神奈川には、横浜商大の高井君・松山君、創学館の佐藤君、日藤の古谷君……好投手が目白押しです。少ないチャンスを生かす勝負強い攻撃力と、最小失点を守りきる守備力がなければ、夏の神奈川を勝ち上がることは至難の業です。今年の塾高はチームとして完成していないだけに、まだまだ伸びていく可能性を秘めています。この課題もきっと克服してくれるでしょう。また、新戦力の1年生投手・白村君の初登板や、田村君以外の投手たちが関東の強豪校相手に公式戦を経験したことも、夏にむけて収穫になったと思います。今年の夏、更にスケールアップした塾高に出会えることを期待しています。

「県大会準決勝で横浜と戦っていたら負けてたよな。今年の慶応は運が良かったんだよ。」「春の大会は、甲子園に直結しないあまり重要な大会じゃないからね。」等、心無いことを言う人達が少なからずいることは事実です。しかしながら野球に「・・・たら。・・・れば。」はありません。いかなる理由があるにせよ、優勝できなかった実力のあるチームより、優勝したチームの方が強いチームなのです。神奈川県大会優勝、春の関東大会ベスト4という成績は、堂々と誇れる素晴らしい実績です。これからも過信にならないように、でも自信をもって「Enjoy Baseball」を究めていってください。(♪究めていよよ、遠くとも~♪)

今年の春は、塾高野球部の快進撃のおかげで思いっきり楽しませていただきました。塾高野球部の皆さん、お疲れ様でした。そしてどうもありがとうございました。

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「少年Mと六大学」最終回。~終章~

中学から10年におよぶ塾生生活の最後の年、平成3年はMにとって忘れがたい年となった。

昨秋のリーグ戦での対立教戦で5回戦までもつれ込む大熱戦を繰り広げたものの勝ち点を奪われた慶応は、その後のリーグ戦を8勝1敗で乗り切り、平成3年の春季リーグにつながる戦いをみせていた。戦力的にも小桧山―大久保のバッテリーを中心に、赤池・印出・宇佐美・山田といった攻撃陣もコマが揃い、楽しみなシーズン開幕となった。

ちなみにMは小桧山と学年学部学科が同じであり、講義の幾つかは重なっていた。前期期末テスト前に、Mの歴史学のノートのコピーを小桧山が使っていた、というのがMのひそかな自慢である。

春季リーグが開幕した。萩原・諸積のいる優勝候補最有力の法政戦で、初戦を落としながら、2.3回戦を連勝で勝ち点を奪い勢いがついた慶応は、エース小桧山が7勝を挙げ、打線も赤池・印出が前評判通りの活躍、早慶戦でも早稲田をストレートで下し、8季ぶりの優勝をかざった。

最上級生となったMが、同好会の後輩たちに「スペシャルな体験」をさせたことは言うまでもないが、この時は優勝のお祭り騒ぎが加わって、Mら4年生が先頭に立ち、「スーパーでスペシャルな体験」を繰り広げられることとなった。このMを含む塾生の「スーパーでスペシャル」な行為に対して、応援指導部や慶早戦支援委員会らは日比谷公園の噴水前を人間バリケードで封鎖していたが、多勢に無勢、狂喜乱舞の塾生に一気に押し切られてしまった。これ以降しばらくの間、早慶戦時には噴水の水が抜かれるようになり、噴水水泳ができなくなったことを記憶している。

そして、秋のシーズンが開幕した。投手陣はアジア大会日本代表となった小桧山が4勝を挙げ相変わらず健在ぶりをアピールし、左腕若松も4勝、1年生井深も2勝と活躍、敗戦は明治戦での1敗のみという10勝1敗の完全優勝で連覇となった。

平成3年の東京六大学は慶応の連覇で終わった。Mにとって、これ以上無い素晴らしい一年間だった。そして中学入学時どん底だった慶応大学野球部の復活とともに成長してきたMの、10年にわたる塾生生活の最後の年を飾るのに、勿体無いくらいの最高の結末となったのである。

これで、「少年Mと六大学」の話は終わりです。登場する記録や選手名は、Mが中学の時から書き綴った日誌のような六大学メモによっていますので、もしかすると正確ではないかもしれません。しかし、ほぼ95パーセント以上本当の話だと思います。社会人になってからも時間の許す限り、東京六大学野球・早慶戦を観戦しにいきました。まだまだここに書ききれない思い出や、印象に残った素晴らしい試合をたくさん体験してきました。デートで早慶戦を観戦しに行き、相手のことをほったらかして応援に没頭してしまいフラれてしまったという苦い経験もしました。少年Mとはもちろん私のことであり、現在も中年Mとして東京六大学野球を応援しています。

東京六大学野球は早稲田・斉藤投手の活躍で、近年まれに見る盛り上がりを見せています。約25年間、東京六大学を観戦してきた私にとっては、神宮球場が観衆で一杯になることはとてもうれしいことです。この人気がいつまで続くかわかりませんが、人気の有無に関わらず、これからも東京六大学野球を応援し続けたいと思います。   (終)

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「少年Mと六大学」第7回。~大学時代・2~

Mが無茶苦茶な大学生活を送っている間、慶応はなかなか優勝できなかった。昭和63年春には、主砲大森が三冠王、秋にはエース志村が5試合連続完封・53回無失点の大記録を作ったにもかかわらず…だ。その慶応の前に立ちはだかったのは、サブマリンエース葛西稔―瀬戸輝信のバッテリーに、中根仁・大島公一・田中善則という攻撃陣を擁した法政だった。法政は昭和62年秋~平成元年春まで四連覇を成し遂げた。戦力がありながら、あと一歩というところで優勝ができないというこの時期の慶応は、Mにとって何とも歯がゆいものであった。

平成元年秋、その法政の5連覇を阻止したのは慶応ではなく、春5位の立教だった。なんと47シーズンぶりの優勝でもあった。しかも全校から勝ち点を挙げる完全優勝というオマケつきだった。スター選手長嶋一茂卒業後、チームの中心となったのは投手の柱・平田、攻撃陣では黒須・田島・山口らで、彼らが一致団結し名門立教を復活させたのだった。慶応は投手陣の柱、志村が卒業し世代交代の時期となり、主砲の大森頼みといった戦いぶりで苦戦を強いられた年だったことを記憶している。ただ小桧山・若松(東大戦でノーヒットノーランを記録)といった新戦力が力を発揮し始め、来シーズンに期待が持てそうな予感があった。早稲田は、小宮山・大沢の投手陣が整備され、野手でも松山商卒の水口栄二らが活躍して、春は2位に食い込む意地をみせた。

大学3年生になったMにとって、平成2年春のリーグ戦ほど熱く燃えたシーズンはなかった。最終週の早慶戦が優勝決定戦となるシビレる展開になったからだ。早稲田は、エース市島と1年生ながらセンバツ準優勝の実績を持つ大越基の2枚看板で勝ち点4、一方の慶応は、若松・小桧山らの投手陣と、橋口・赤池・宇佐美らの攻撃陣らで勝ち点3を挙げていた。勝ち点を奪ったチームが優勝という状況に加え、1勝1敗のタイとなり、第3戦までもつれ込む展開になったことで、Mとその仲間達は更にヒートアップし第3戦試合開始前には既にオーバーヒート状態になっていた。運命の第3戦は中盤まで3-3の大接戦。しかし終盤突き放された慶応は、憎き1年小僧・大越にほぼパーフェクトに抑え込まれ万事休す…慶応は優勝を逃すことになった。Mはゲームセット時のあの屈辱的な光景が今でも目に焼き付いて離れない。その夜、放心状態のまま、日吉の野球仲間の下宿に集まり、朝まで飲み明かしたことだけは覚えている。

早慶決戦で盛り上がった春とはうって変わって、盛り上がりすぎた反動だろうか?平成2年秋については、立教に出鼻をくじかれたものの後半盛り返したことで来季の慶応はなんかやってくれそうだ、という淡い期待があったことくらいしか覚えていない。その他では法政と立教の優勝決定戦があり立教が優勝したこと、早稲田・大越が退学したこと、野球部員寮からの大量脱走事件の影響で明治にまったく精彩がなかったことくらいしか覚えていないのだ。

そして、いよいよMが大学4年生となったクライマックスの平成3年・最高のシーズンが開幕する。(次回最終回につづく)

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塾高、ベスト4進出。~春季高校野球関東大会~

21日、春季高校野球関東大会の準々決勝4試合が行われた。

47年ぶりに神奈川王者となった慶応義塾は東海大菅生に対し、主砲伊場君の走者一掃の2塁打・2ランHRなどで先制・中押し・ダメ押しと効果的に得点を重ね、8回コールド・10-3で勝利した。

神奈川代表のもう1校日大藤沢は、日大対決となった日大三高に一時は5-1とリードしたものの、中盤に追いつかれその後も追加点を奪われ5-9で逆転負けとなった。

注目の埼玉代表・富士見は甲府商業相手に4-2とリードしていたが、7回裏一気に3点を奪われ逆転を許し4-5で惜敗した。

6回まで3-3の接戦となった市川―千葉経大附戦は、7回裏千葉が一挙6点を奪う猛攻で市川を突き放し、9-3で明日の準決勝進出を決めた。

これにより、明日行われる準決勝は次のような組合せとなった。慶応義塾―甲府商業、日大三―千葉経大附。

塾高の皆さん、明日は準決勝です。現在、大学で活躍中の中林君・漆畑君らが在校中でも達成できなかった、関東大会制覇はもう手の届くところにきました。今日の大勝に気を緩めることなく、積極的でありながら、大事に丁寧に一つ一つプレーしていきましょう。他県の強豪校との公式戦は、夏にむけて絶対貴重な財産となります。一つでも多くの試合が経験できるよう頑張ってください。

塾高が関東大会を制覇し、兄貴分の塾野球部の早慶戦の勝利・東京六大学リーグ大逆転優勝の前祝となれば最高なんですが…どんな感じでしょう?

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早稲田、強いね。

東京六大学の首位決戦、早稲田―明治戦の第2回戦が行われました。試合は早稲田が斉藤―福井―松下の継投で明治打線を完封、打っては明治の古川・久米・水田・白石の強力投手陣4本柱から5点を奪い、5-0で連勝、8戦全勝で勝ち点を4に伸ばしました。

早稲田…強いです。はっきりいって付け入る隙がありません。おまけに人気も物凄いです。第1試合の慶法戦の観衆が22,000人に対して、早明戦は30,000人です。こちらも付け入る隙がありません。

慶応サイドの人間としては、伝統の早慶戦で何とか早稲田に連勝し、8勝2敗で勝ち点4同士の優勝決定戦に持ち込むしかありません。(慶応が早稲田に連勝した場合、次週の法明戦で明治が連勝で法政から勝ち点を奪っていると、3チームによる決定シリーズになってしまいます。えらいこっちゃ。)

そんなことにでもなったら早慶戦、優勝決定戦は一体どうなってしまうのでしょう。想像もつかない盛り上がりになりそうです。ただ一ついえる確実なことは、神宮球場の売店はウハウハで笑いが止まらない、といったことでしょうか。

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関東大会2回戦の結果。

20日、春季高校野球関東大会は2回戦6試合が行われベスト8が出揃いました。

開催県神奈川代表の日大藤沢は、国学院栃木に終盤逆転し2-1で勝利。また、埼玉の富士見は千葉の古豪銚子商業を7-0と圧倒し7回コールド勝ち、甲府商業対足利工大附戦は延長戦にもつれ込む接戦となり、甲府商業が2-1でサヨナラ勝ちをおさめました。

試合結果です。東海大菅生4-2前橋工業、慶応義塾6-3竜ヶ崎一、甲府商業2-1足利工大附、富士見7-0銚子商業、日大三4-3滑川総合、日大藤沢2-1国学院栃木。

2回戦各試合はほとんどがロースコアの接戦で、非常にシビレる見応えのある試合が続いていているようです。

明日の準々決勝の組み合わせです。千葉経大附―市川、日大三―日大藤沢、東海大菅生―慶応義塾、甲府商業―富士見。

注目は、三高VS藤沢の日大対決と、県大会で浦和学院・埼玉栄を敗って埼玉代表となった富士見の快進撃がどこまで続くか?といったところでしょうか?その他の対戦カードも実力伯仲の見応えのある好ゲームが期待できそうです。

是非球場に駆けつけて観戦したいのですが、明日からまた仕事です。残念ですが、各HP等駆使してネット応援で我慢したいと思います。

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慶応兄弟、ともに勝利。

神宮で、ハマスタで、慶応兄弟ともに勝利。

神宮での東京六大学春季リーグ戦・慶法2回戦は、5回に1点を先制された慶応が、その裏5本のヒットを集中させ3点を奪い逆転。中林―相沢の継投で、その後の法政の反撃を1点に抑え3-2で勝利を飾る。慶応は連勝で勝ち点を奪い、6勝2敗・勝ち点3という成績。最終週の早慶戦で大逆転優勝を狙う。

一方、横浜スタジアムの春季高校野球関東大会2回戦では、弟分の慶応義塾高校が、茨城の竜ヶ崎一と対戦。終盤まで4-3と接戦の展開だったが、9回表にダメ押しの2点を挙げ竜ヶ崎を突き放し、6-3で準々決勝進出を決めた。塾高は明日の準々決勝も頑張ってください。

両球場とも、今日の青空のようにスカッとした結果になって身も心も清清しいです。

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東京六大学と春季高校野球関東大会の結果。

東京六大学野球春季リーグ戦の注目の全勝対決は、早稲田が2-0で明治に先勝しました。早稲田のエース「11」須田が、明治打線を散発の6安打に抑え完封、明治・水田との投手戦を制しました。

第2試合の慶法戦は、主砲・佐藤翔の満塁HRなどで7点を挙げた慶応が、法政に7-4で勝ちました。投げてはエース加藤が9安打されながらも、四死球2・12三振を奪う粘りのピッチングで完投しました。慶応としては、明日の法政戦にも勝って、連勝で早慶戦に臨みたいところです。

さて、春季高校野球関東大会が今日開幕し、開催県神奈川代表の横浜創学館が、センバツ出場校の千葉経大附と横浜スタジアムで対戦しました。試合は延長にもつれ込む大熱戦だったようで、11回に決着がつきました。残念ながら創学館は1-2でサヨナラ負けとなってしまいましたが、センバツ出場校相手に健闘したと思います。明日は、センバツ出場の日大藤沢と、47年ぶりに神奈川王者となった慶応義塾が登場します。今日負けてしまった創学館の分まで頑張って、神奈川のレベルの高さと底力を見せつけて下さい。

19日のその他の試合結果は次の通りです。日大三(東京)6-0太田市商(群馬)、市川(山梨)2-1藤代(茨城)。

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優勝の行方を占う今週のカード。~東京六大学春季リーグ戦~

今週の東京六大学春季リーグ戦は、優勝の行方を占う注目のカードになりました。開幕から連勝街道をひた走る6戦全勝同士の早稲田と明治が激突、その一方で慶応が法政と対戦します。

今までの試合内容から判断すると、早明戦は互角でまったく予想がつかない、慶法戦はやや慶応有利かなという感じがします。

最後の早慶戦が優勝決定カードとなる為に、今週は明治に早稲田を叩いてもらい、慶応は法政に連勝、次週の明法戦で法政が明治から勝ち点を奪う…という展開が理想です。そうなると、状況によっては早慶戦の結果次第で、早・慶どちらかが優勝、もしかすると早・慶のどちらかと明治の間でプレーオフなんていうこともありえます。

チケットぴあで前売り発売した早慶戦のチケット3000枚は、既に完売しています。もし早慶戦が優勝決定カードとなってしまったら一体どうなってしまうのか、想像もつきません。神宮に5万人集まっちゃうかもしれませんよ。

今週の2カードは、勝ち点をどちらが奪うか?というだけでなく、星勘定(連勝か、2勝1敗か)にも注目です。今週の結果によって、ある程度優勝の行方が見えてきそうです。(余計に混沌としたりして…)

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いよいよ明日から関東大会。

いよいよ明日、春季高校野球関東大会が始まります。開幕カードは群馬・太田市商VS東京・日大三です。

神奈川県勢の初戦の組合せは、19日は12時45分試合開始予定で横浜創学館VS千葉経済大附戦(横浜スタジアム)、20日は12時試合開始予定で慶応義塾VS竜ヶ崎一(茨城)戦(横浜スタジアム)、14時30分試合開始予定で日大藤沢VS国学院栃木戦(保土ヶ谷球場)となっています。

神奈川県勢には是非大暴れしてもらって、横浜、東海大相模、桐蔭、桐光だけじゃないところを見せてやりましょう。

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「少年Mと六大学」第6回。~大学時代1・早慶戦観戦裏話~

昭和63年4月、Mは慶応義塾大学に入学し、軟式野球同好会に入会した。少人数(各学年5人くらいで計20人前後)の同好会だったが、野球には真剣に取り組み、その他に関してもいろいろな意味で非常にまとまりのある面倒見のよい同好会だった。

多摩川河川敷グラウンドを拠点とする春・秋の2シーズン制のリーグに属していて、シーズン中は月・水・金・土の週4日試合が組まれていた。

金曜日の試合が終わると、メンバーほぼ全員で下丸子から蒲田へ移動し、バッティングセンターで150kmの球速が出せるという当時希少価値のマシンを使って、速球対策と素振り(空振り?)の練習。その後、居酒屋で反省会と称した飲み会を実施した後、近接するボーリング場へ行き、水原勇気となるべくドリームボールの習得練習。終電ギリギリで目蒲線に乗り込み武蔵小山へ移動、先輩の下宿になだれ込み、忍耐力・洞察力・集中力と勝負勘を鍛える為に徹夜マージャンを敢行。空が白み始めたころ、下宿近くのコンビにへ向かい、人数の約半分のオーダー数の弁当を調達、分かち合いの精神を養う。腹ごしらえが終わると、再び目蒲線にのり、下丸子へ移動。昼から行われる試合に備えて川原の芝の上でつかの間の休養をとった後、土曜日のリーグ戦に挑む。土曜日の試合が終わると、金曜日夕方~土曜日午前中にかけての特訓メニュー(?)が再び繰り返され、日曜日、東京6大学野球を観戦しに神宮へ。観戦後、三度同じメニューが繰り返され、月曜日のリーグ戦に臨む…という、今振り返るとなんと無茶苦茶な学生生活を送っていたのだが、ある意味とても充実した大学生生活だったなと懐かしく思ったりしている。

さて、早慶戦前になるとこの特訓メニューは特別メニューになった。金曜日のリーグ戦試合終了後、いったん解散となり、1、2年生は夜9時に地下鉄外苑前駅改札に再集合となる。この時に持参しなければならない寝袋、遊戯玩具類、球場内で20人分の座席を確保する為のダンボール類(これが意外と暖かく、夜の寒さをしのぐのにもむいていた。)が三種の神器であった。神宮外苑の絵画館前や軟式野球場周囲に前進基地を設営し、ときどき買出し部隊や、他のサークルの状況を探る為の偵察部隊などを出しながら、翌朝の神宮球場開門の時を待つのである。夜中に懐中電灯を使い、雀卓をひろげ、麻雀を打っていたときは、某メディアから取材を受けたこともある。(次の日のTVのニュース映像で使われていたらしい。)と思えば、近隣の皆さんからの苦情通報があったとのことで、警備員に追いかけ回されたこともあった。

我が同好会の狙いは、一般外野席の外野学生席に最も近いエリアだった。当時、内野・外野の学生席は、整理券発行や応援指導部の誘導により座席選択の自由がなく、その為開門時に観戦するメンバー全員が揃っていないと、座席場所が離れ離れになってしまうおそれがあった。また試合中も攻撃中・エールの交換中などは、離席が認められておらず、さまざまな制約の中で観戦するのが意外と窮屈であったからだ。学生席の応援との一体感を十分に満喫しながら、観戦中の自由が認められるこの席の確保は、1.2年生の最大かつ最重要な使命であった。

そして熱狂的応援をした早慶戦観戦後、(この段階ですでに心身ともにボロボロ)大混雑する神宮周辺を移動しながら、銀座の居酒屋へ先輩たちを案内することになる。当時携帯など存在していなった為、この段階で迷子を出すととんでもないことになってしまうということで毎回細心の注意を払って誘導していたのだが、先輩の中には、この大混雑のドサクサを利用して、お目当ての新入生女子マネとトンヅラしてしまうとんでもないヤカラもいた。

居酒屋の呑み会でトドメをさされた1.2年生は、最後にモウロウとする意識の中で、先輩たちに日比谷公園に強制連行される。あの公園の中央にある噴水に投げ込まれるのだ。この時、一時的に意識が覚醒し、限界を超越した時に初めて腹の底から沸き起こる未知なるパワーが引き出され、噴水内でまったく知らない他の塾生とともに肩を組みながら「若き血」をエンドレスで絶叫しつづけるのだった…。

「このスペシャルな体験をしないと真の塾生とはいえない。」と先輩から事あるごとにいわれ続けたMだったが、はたして「真の塾生」とは一体どういうものなのか、スペシャルな体験後もいまだに理解に苦しんでいる。でも、なんとなくわかるような気もしているのだ。(第7回につづく)

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野球とは一体何だろう。

何年か前の高校野球関東大会、慶応高校対浦和学院の試合前の話。埼玉の強豪・浦和学院の選手は慶応に対して「遊びで野球をやっているチームには、絶対負けない。」と試合前の意気込みを語った。それに対し慶応の選手は、「何を言っているんだ。野球なんて遊びじゃないか。」…試合は慶応が浦学に勝利した。

少年野球チームの試合観戦をしていた時の話。ミス連発の選手たちに、監督と思われる人物は怒鳴ったりこずいたりのやりたい放題。選手がミスするのは、自分達の日頃の教え方が悪いからじゃないの?。選手を萎縮させるような試合中の行為が、ミスを誘発させている原因なんじゃないの?もっとのびのびやらせてみれば、信じられないような凄いプレーをするかもしれないよ。こんな野球は、見ているほうもやっているほうも楽しくないよね。

一連の高野連のコメント。「高校野球は、教育の一貫で…。長い歴史と伝統と学生野球憲章に基づいて…」。野球を通じて学ぶことは非常に多いけれど、それはあくまでもプレーした結果、学んでいるのでであって、「こうあるべきだ」という勝手な理想像に仕立て上げる為の手段として、野球を利用するのはおかしいと思います。

野球は「プレイボール」の掛け声から始まります。プレイ=遊ぶ、ボール=球、つまり球を使って遊ぶゲームなのです。「思いっきり投げて、思いっきり打って、思いっきり走って、相手より一点でも多く得点をとる。」という遊びなんです。

野球に、自分達の都合にあわせたいろいろな制約や縛りを設けて、いいように利用している大人の皆さん、もう一度原点に立ち返って「野球」とは何かを見つめなおした方がいいのではないでしょうか?

「野球」は「遊び」です。今世間ではびこっている「野球」は、まったく楽しくありません。楽しくない「遊び」に魅力を感じる人なんて、いるわけがありません。

この「野球=遊び」という大原則が忘れ去られていることが、現在野球界で起きている問題の、すべての原因になっているのかもしれません。

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クイズです。

Q)下にかかれている●と○は、一体何を表しているでしょうか?

●●●●●●●●●●○●●●●●●

A)バファローズの連敗驀進中の星取表でした。

前頭13、14枚目の新入幕力士が、横綱・三役・幕内上位とあたり続けたって、こんな星勘定になることは滅多に無いですよ。これだけ負け続けるのも難しいと思いますが…。

ビジュアルにすると、この泥沼の連敗地獄の凄まじさが分かります。泥沼じゃなくて底なし沼かな?。

次に勝てたら、白と白の間にはさまれた6個の黒がみんなひっくり返って、白になったりして…。そんな冗談もむなしく聞こえます。

いろいろな意味で数々の伝説を残した名(迷?)球団、近鉄「バファローズ」の名を汚すような、オリックスのこのテイタラクぶりは、元近鉄ファンとしては許せません。合併時にファンをやめてしまいましたが、今のオリックスには、栄光の「バファローズ」というチーム名は使って欲しくないです。

あ~あ、仰木さんも天国で悲しんでいるだろうなぁ。

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野球人生のスタート!

長男が小学校に入学してから約1ヶ月が経ちました。それなりに学校にも慣れ、日々の生活にもリズムができてきました。

入学と同時に野球を始めさせたかったのですが、3月から剣道教室に通い始めていたので、いっぺんにあれもこれもでは大変かな?と思い、チームに入部させるのはもう少し経ってから…なんて勝手に思っていました。

ところが昨日仕事から帰ってくると、長男自ら「ボク、野球がやりたい。」と言ってきたのです。小学校のクラスメートが野球チームに入るので一緒にやりたい!というのです。

野球バカの私にもちろん異存はありません。むしろ長男の「野球がやりたい」発言に、目頭がジーンと熱くなってしまいました。

寝床について、「長男が野球を始めたら、自分の草野球以上に入れ込むだろうな。毎週カメラ片手に応援にいったり、試合のたびに一喜一憂してしまうのだろうな。」なんて考えながら、「いよいよ彼の野球人生が始まったのか…。」と感傷に浸ってしまいました。

長男の野球人生が素晴らしいものになるよう、期待しすぎないように、でしゃばり過ぎないように、温かく見守っていこうと思います。(時には野球の先輩として厳しくも)

なんていいながら、長男をどのチームに入れたらいいか、仕事の合間に調べている自分が…。

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「横浜」ブーム?!

レッドソックス松坂が初完投で5勝目を挙げ、本日の千葉マリンスタジアムでは、M成瀬とL涌井の見事な投手戦(3人とも「横浜」高校OB)。

ちょっと前にはG山口(「横浜」商業OB)が育成出身選手として初勝利。

今日は負けてしまいましたが、今季のセ・リーグは「横浜」ベイスターズが2位と調子いい。

今春の高校野球関東大会のメーン会場は「横浜」スタジアム。

…今年の野球界はちょっとした「横浜」ブームかもしれない。

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還暦野球 2

以前にもこのブログで取り上げました「還暦野球」について、5月13日付読売新聞に関連の記事が掲載されていました。

群馬県発祥で全国に約1,000チームがあるといわれ、大会なども盛んに行われているとのこと。東京にも還暦軟式野球連盟があり、60チームが8つのレベルに分かれてリーグ戦を行っているそうです。中には野球未経験者で、この還暦野球で初めてユニホームを着た人もいるそうで、どんな人でも楽しむことができる野球というスポーツの奥の深さを感じます。

私が所属している草野球チーム「マッドドッグス」も前身チーム時代(平均年齢が20代から30代前半の頃)は、バリバリ野球がしたくてレベルの高い大会などにも積極的に参加していました。しかし、メンバーの高齢化(?)が進むにつれ(現在30代後半、もうすぐ40代)、月1・2回集まって怪我の無いよう無理せずに、「明るく楽しく気持ちよく」プレーするスタイルに変わっていきました。

現在のメンバーが誰一人欠けることなく、その時の年齢・体力に合わせたプレースタイルで野球を続けることができたら、とても幸せなことだと思います。

25年後(くらいかな?)、私共の草野球チーム「マッドドッグス」が東京都還暦軟式野球連盟に加盟できるように、これからも頑張りすぎない程度に頑張って野球を楽しく続けていこうと思います。

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「少年Mと六大学」・番外編~慶応全勝優勝~

少年Mは、昭和60年秋季リーグで慶応が57年ぶりに全勝優勝した時の新聞記事をいまだに大切に保管している。昭和60年11月4日付報知新聞の4面を切り抜いたものだ。記事によると試合日は11月3日、試合開始は0時55分。観衆は4万人を集めていた。慶応先発は鈴木哲、早稲田が下山。慶応が3-1で早稲田を敗り、57年ぶり全勝優勝を達成したと記してある。

優勝の瞬間の模様は、次のような描写で記されている。(『』内引用)

『やった!勝った!全勝だ!連投の志村が、早大最後の打者・小島を一飛に打ち取った。マウンド上に芳賀が、石井が集まる。外野から相場が一目散で走ってくる。歓喜の輪ができた。10戦無敗。昭和3年以来実に57年ぶりの快挙だ。』

試合内容も記事から引用する。

『慶大は1点をリードされた7回一気に逆転した。この回先頭の相場が左前安打。続く仲沢が中前安打で1・3塁。すかさず仲沢が2盗。1死後、芳賀が中前に逆転の2点タイムリー安打を放った。なおも9回、相場が左翼席へ一直線に運ぶ今季3号アーチでダメを押した。早大は盗塁死、バント失敗などまずい攻めで、なかなか先制点が奪えなかった。5回にも2死2塁から小島の中前安打で2塁走者の鳩貝がホームをついたがタッチアウト。住吉の二ゴロ併殺崩れの間に先取点をやっと入れた。なおも7回、1死満塁のチャンスをつくったが、救援した志村にかわされた。』

記事の詳細を読んでみると、明大戦で既に優勝は決まっていたものの「全勝優勝を狙う」と相場がコメントしており、気合の入ったナインの様子が伺える。また、ピンチを凌いだ、志村の投球内容への賛辞も書かれている。いま読み返してみても、あの時のスタンドの興奮が鮮明によみがえってきて、胸が熱くなる。

最後に前田監督のコメントも記事から引用する。

『「ウチは持てる力以上のものを出してくれた。志村の投入は遅れたが、よく踏ん張ってくれた。」と前田監督。その監督をナインが胴上げする。3度、4度と宙に舞った。…中略…昭和3年、全勝を記念してストッキングに白線を1本いれた。試合後、前田監督は「白線をもう1本いれますよ。ただし、グッと細い線をね。」といってニッコリ笑った。』

三色旗をモチーフにしたストッキングに、3本目の白線が入るのは一体いつになるだろう。意外と近い将来(今年秋あたり?)、その夢は実現するかもしれない。それまでMは、慶応を、いや東京六大学に注目し続けるであろう。Img_0565Img_0562

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「少年Mと六大学」第5回。~高校時代~

昭和60年4月、Mは慶応義塾高校に進学した。自ら甲子園球児となるべく硬式野球部の門戸をたたくが、体験入部の段階で、そのあまりの厳しさについていけず挫折、またも慶応のグレーのユニホームを着ることができなかった。そしてMは塾高野球部と大学野球部を応援することにその高校生活の全てを、いや80%を、いや50%くらいを、ささげることとなった。

昭和60年春季の東京六大学リーグは、西川を中心とした法政が強く、2分けがあったものの10戦全勝で優勝を飾っていた。一方の慶応は3位で春季リーグを終える。打撃陣の2枚看板である仲沢・相場が健在、投手陣に前年甲子園で大活躍した左腕志村亮が加って、初シーズンながら3勝を挙げる活躍をする。本格派右腕鈴木哲との2本柱が完成し、投手陣も整備され、昭和48年から続く長期低迷から脱し、いよいよ復活の兆しが見え始めていた。

そして、ついに昭和60年秋季リーグ戦が開幕する。。開幕から慶応は投打の歯車ががっちりかみ合い快進撃を続ける。仲沢・相場、志村・鈴木の投打の両輪が活躍し、全勝(1引き分け含む)でクライマックスの早慶戦を迎える。もちろんこの早慶戦をMが見逃すわけが無い。「早稲田に負けて優勝しても、喜びは半減だ!連勝で宿敵早稲田を倒して、全勝優勝だ!!」と、とうの野球部員以上に入れ込み、目が血走りながら、神宮に連日駆けつけたのである。

試合は、2試合とも慶応が早稲田に快勝し、57年ぶりに全勝で優勝を飾ることとなった。昭和47年秋以来実に13年ぶりの優勝であった。(慶応はこの後行われた明治神宮大会でも優勝を飾り久しぶりの日本一となった。)Mは歓喜で一体となった応援席で、その喜びを爆発させていた。早慶戦勝利の時しか歌うことができない名曲「丘の上」を、うれし涙を流しながら思いっきり歌った。あの「丘の上」を越える感激は、いまだに体験していない。

さて、Mは当然、優勝後に行われた三田校舎までのパレードに参加した。三田校舎内特設ステージでの祝賀会を堪能した後、一緒だった塾高の先輩に連れられるまま日比谷公園へなだれ込み、初の噴水水泳を楽しむこととなった。

Mの高校時代(昭和60年~63年)は、強打者中根仁擁する法政、武田・平塚・舟山という強力投手陣を持つ明治、そして慶応が三つ巴の様相を示し、常に優勝争いを繰り広げていた。慶応は鈴木哲・志村の投手陣2本柱と、相場・加藤(S62春・首位打者)・猿田(S62秋・首位打者でS63年度主将)に加え、大森剛が入学しまさに充実期を迎えていた。慶応は昭和62年春にも優勝、大学選手権でも優勝し、再び日本一となった。

そんな中、早稲田には常総学院から仁志・川原、帝京から大井・横田が入学し、立教には長嶋一茂・矢作らが在籍して、東京六大学を一層面白いものにしていた。

Mは、強い慶応をリアルタイムで体験することができた。そして、その体験は、Mの東京六大学への並々ならぬ興味をさらにかきたてることとなった。(第6回につづく)

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母の日に草野球なんて。

本日、マッドドッグスの試合がありました。10時試合開始ということで、8時に家を出たのですが、出掛けに「今日は何の日だか知ってる?」と我が妻が不服そうに聞いてきました。間髪いれずに私が「見りゃわかるでしょ。野球の日だよ。」と答えたのがまずかった…。無言のままその場を立ち去る妻。「???」の私。

球場に向かう車の中で、「しまった!今日は母の日だ。」

そんなこんなで、試合開始。7番DH出場でしたが、サードゴロエラー、四球、空振り三振という個人的にはパッとしない成績でした。しかしチームは久しぶりに打線が爆発し9対6で勝利することが出来ました。1月以来の今季2勝目です。「明るく楽しく気持ちよく」がチームのモットーですが、やはり勝てると更に「気持ちよく」なります。

しかし、気持ちよかったのはここまで。「母の日」でありながら、遊びにも連れて行かず、家で待っているであろう妻と2人の息子のことを考えるとさすがに申し訳ないと思い、帰り途中ケーキ屋さんに寄って「母の日限定スペシャルケーキ」なるものを購入しました。

「本当は母の日だって知ってたんだよ。驚かそうと思ってとぼけてたんだ。」なんて、家に着いたら言ってやろうなんて考えていたら、妻達の方が上手でした。

家に着いたら人の気配がありません。そしてテーブルの上には置手紙が…。

「3人で遊びに行って来ます。夜まで帰りません。夕飯はご自由にどうぞ。洗濯物よろしく。」

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「少年Mと六大学」第4回。~中学時代・2~

昭和57年春の東京6大学は、法政大学が圧倒的な強さを見せ、法政野球部史上初の10戦全勝で優勝を決めていた。打者では小早川・銚子、投手では和田・西川といった豪華メンバーを揃え、向かうところ敵無しの強さだった。早稲田は2位と意地を見せたが、慶応は昭和48年以来優勝から遠ざかる大不振の真っ只中で、この季も5位とまったく振るわなかった。

早慶戦の歴史と伝統を、家庭教師Kから話では聞いていたものの、優勝とは関係ないリーグ戦の1試合ぐらいにしか考えていなかったMは、朝10時にJR信濃町駅に着いたときに、神宮の杜が一種独特の雰囲気に包まれていることを察知した。そしてその異様な雰囲気は、神宮球場に近づくにつれドンドン増大していった。それはそうだろう。塾のすべての学校は休校になり、幼稚舎から高校までのほとんどの生徒が学生席に集まるのだ。また、当然大学の講義も全部休講となり、サークルに所属している1・2年生は後から球場にくる上級生のために、少しでもいい席を大量に確保しなければならず、前の日から神宮外苑に寝袋持参で泊まり込み、順番待ちをしているのだ。(中には雀卓持参で麻雀しているモノもいた。)

学生席に着席すると、13時試合開始にもかかわらず11時頃からすでに早慶スタンドからの応援合戦が繰り広げられ、ボルテージは試合前から最高潮に達していた。初めての体験にMは圧倒された。優勝も絡まないのになんで?と思ったが、あっという間にその異様な雰囲気に飲み込まれ、同化してしまうのにそんなに長い時間は必要なかった。

塾旗の厳かな入場、早慶スタンドが一体となっての早慶讃歌の合唱、エールの交換、試合中に響き渡る♪パラララッパパ~♪、ダッシュケイオー、若き血、三色旗の下に…に代表されるすべての応援歌に共通する「慶応」の連呼。塾の一員であることを洗脳にも近い形で刷り込まれて、Mは試合後の塾歌斉唱のときには、小さいながらも愛塾心に目覚めた立派な塾生になっていた。

そんなMが、その後東京六大学にドップリはまっていったのは十分理解できよう。

Mが普通部に在籍していた間、慶応は優勝することが出来なかった。しかし、昭和57年春から前田祐吉監督を向かえ、投手では萩田、野手では上田・仲沢・相場(現塾野球部監督)・三木らを中心に徐々に力をつけていった。

この時期は、前述のスター選手揃いの法政、竹田光訓・広沢克己の投打の2枚看板を擁する明治、江上・木暮の早稲田、孤軍奮闘する立教のエース野口裕美、甲子園で都立国立旋風を巻き起こしたバッテリー市川・川幡が入学した東大と、各大学に個性的な注目選手がいて、現在にもまして面白く熱き戦いが繰り広げられていた東京六大学リーグであった。      (第5回へつづく)

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「少年Mと六大学」第3回。~中学時代・1~

それがどんな動機でも、明確な目標を持つと人間は頑張れるものだ。小学校6年の4月の段階で55前後だったMの偏差値は、「グレーのユニホームを着て野球をする為に慶応に入る」という強い意志に支えられた猛勉強で、年明けの1月には70近くまで伸びていた。そして約15倍という倍率を突破し、慶応義塾普通部に合格したのであった。

4月、Mは何の迷いも無く野球部に入部した。夢にまで見た憧れのユニホームを着て、いよいよこれから自分の野球人生が始まる…。高まる胸の鼓動と、希望に満ちた未来が、この時点ではMの目の前に広がっていた。しかしその僅か3週間後、Mは後ろからトンカチで頭をひっぱたかれたようなすさまじい衝撃を受けることになる。

その日、Mは春の横浜市大会ブロック予選の会場にいた。新入生はまだ仮入部扱いで試合への出席の義務は無かったのだが、どうしてもグレーのユニホーム姿で戦う先輩たちの姿を見たかったのだ。

徐々に試合開始時間が近づき、着替え始めた先輩たちの姿を見た瞬間、Mの目は点になった。ユニホームが、ユニホームの色が違う…。当時の普通部のユニホームは、大学のユニホームとは似ても似つかない、袖とパンツの脇に太い紺色のラインが入った、アイボリー色のユニホームだったのだ。

Mはあまりのショックで言葉を失った。グレーのユニホームを着るために頑張って慶応に入ったのに…。いったい何の為に受験勉強を頑張ってきたのか…。その日の試合のことはまったく覚えていない。そのかわりに、それまでしてきたことをすべてを否定されたような絶望感と虚しさを感じたことだけは今でもはっきりと覚えている。

ちなみに現在、普通部は大学と同じグレーのユニホームを着用している。塾のすべての学校、幼稚舎~大学まですべて同じユニホームとなっている。

そんなユニホームショック事件の傷がどうにかこうにか癒え始めた5月末、Mは全塾生が応援に参加する一大イベント、春の早慶戦(慶応は慶早戦という。)に初めて参加することになる。昭和57年のことである。     (第4回につづく)

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神奈川県勢の初戦は?~春季関東大会~

5月19日から横浜スタジアム・保土ヶ谷球場で行われる高校野球春季関東大会の組合せが決まりました。神奈川県の代表校は、横浜創学館が千葉経大附と、日大藤沢は国学院栃木と、そして47年ぶりに神奈川を制した慶応義塾は茨城の竜ヶ崎一との対戦が決まりました。

例の問題の影響で、「目玉の高校がいない、全体的に小粒で盛り上がりに欠ける」などといわれていますが、今春のセンバツ出場校の千葉経大附・日大藤沢を筆頭に、前橋工業、銚子商業、市川、甲府商業、日大三、国学院栃木、東海大菅生、竜ヶ崎一、…甲子園出場経験のある実力校が顔を揃えており、なかなかのメンバーだと思います。

さて、慶応義塾は2回戦からの登場で、茨城の竜ヶ崎一との対戦です。竜ヶ崎一といえば、ユニホーム左胸の「ボールを投げる人の姿」を模っていてるRのロゴが有名ですが、今回は県大会準決勝で、主力抜きとはいえあの常総相手に11-1とコールド勝ちしており、実力的にも侮れません。塾高にとっても相手に不足はありません。「挑戦」と「根性」で竜ヶ崎一に挑んでいってください。

春季関東大会が今から楽しみです。

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ふざけるな!ソフトバンク。

といっても野球ではなく、携帯電話の話。

いまだに、J-フォンと刻印されている機種を大事に使っていたのだが、いよいよ壊れてしまった。。忙しい仕事の合間を縫って昼休みに現場近くのソフトバンクの携帯ショップへ駆け込んだ。そして、壊れたので新しい携帯に機種変更したい旨を若い男性社員に伝えた。いろいろ書かされ、身分証明書代わりに免許証を提示した後、最後になって法人契約の携帯電話なので、会社との雇用関係を証明(社員証とか名刺など)できるものを提示しろという。

従業員3人の個人経営の会社で社員証なんか存在しないし、工事現場を抜け出してきているのだから名刺など持ち合わせていない。着ていたジャンバーの会社名の刺繍をみせても駄目。たまたま持ち合わせていた会社の宛名が書かれている手書きの領収書をみせても駄目。図面を入れていた会社の封筒をみせても駄目。あくまでも社員証か名刺でなければ駄目なのだ。名刺なんてものは、いくらだって偽造できるのに、何故そんなに名刺にこだわるのかまったくもって理解できない。

この硬直したガチガチのマニュアル通りの対応はいったい何なんだ。目の前のお客は、携帯が壊れて困っているというのに…。結局、提示書類の不備ということで機種変更には応じてもらえず、非常に腹立たしい気持ちで店を出た。携帯は壊れたままだし、貴重な昼休みも潰れて、昼食を摂る事もできなかった。

携帯が使えないと仕事に支障をきたす為、仕事帰りにちょっと(大分?)遠回りをして、昼とは違うソフトバンクの携帯ショップに向かった。店の前に着いたのは18時ちょっと前だった。営業時間は19時までというのに、なぜかその店のシャッターは途中まで下ろされていた。

店内に入ったのだが、カウンターには接客中の社員が一人いるだけで他の社員はいなかった。カウンターはあと2つあったのだが…。しょうがないので番号札を取り5分くらい待っただろうか。店の奥から笑いながら若い女性社員が2人でてきた。そのうちの1人が私の札の番号を呼んだのでカウンターへ。昼の一件があったので、持参した名刺と免許証と壊れた携帯をカウンター上に置き機種変更したい旨を伝えた瞬間、その若い女性社員が、またしてもマニュアル口調で淡々とこういった。

「申し訳ございませんが。機種変更の手続きは18時までとなっております。」

開いた口がふさがらなかった。怒ることを通り越してあきれ果てた。本当に申し訳ないと思っているのか?

「あの、私は18時前にこの店に入ったんです。他にお客さんがたくさんいて順番待ちしていたわけでもあるまいし、機種変更の手続きが18時を過ぎたのはあなたがカウンターにいなかったからでしょう。」と一言だけいって、店を出た。

…今、私の手には新しい携帯電話がある。ロゴは「 NTT DoCoMo 」に変わった。

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「少年Mと6大学」第2回。~小6受験生時代~

神宮に着いた少年Mは、初めての東京6大学野球春季リーグ戦観戦に胸を躍らせていた。あの憧れの立教の縦縞ユニホームがナマで見ることが出来る!内野スタンドの入り口までの階段を一気に駆け上がり、グラウンドを見下ろした瞬間、「アレレレ?」。Mの喜びは一瞬にして消え去った。

そこには、憧れの縦縞ではなく、グレーのユニホームが…。

KはMとの観戦カードに、「明治」対「立教」戦でなく、「明治」対「慶応」戦を選んだのであった。

当時、明治は相当強かった。江川・袴田・高代といったスーパースターを擁し4連覇を達成した法政大学に代わり、昭和53年~55年までの6シーズンのうち半分の3回リーグ戦優勝していた。鹿取・高橋の2本柱を引き継いだ、森岡を中心とした松本・武藤の強力投手陣と、完璧なまでの守備陣はリーグ随一の実力を誇っていた。

一方、慶応は昭和46年秋~47年秋までの3連覇を最後に、16シーズン優勝無しという長い低迷のトンネルの中でもがいていた。後藤寿彦・堀場英孝・青島健太と強打者が在籍して活躍してはいたものの、チームとしてはまったく振るわず、昭和55年は両シーズンとも5位、青島が卒業してむかえる56年春は、まったくいい材料が見当たらなかったのだ。

Kはこうした状況を冷静に分析し、Mが見たがっていた立教ではなく、必ず明治が勝てると確信していた「慶応」戦にMを連れて行ったのだった。

だが、Kのこの姑息なやり方が、Mの人生を大きくかえることとなった。

Mは、慶応のグレーのユニホームの、シンプルで派手さはないものの色使いとそのバランスの良さ、センスの良さ、格好良さに一目惚れし、「野球をするなら慶応のユニホームを着てプレーしたい!」と一瞬にして心変わりししてしまったのだ。

Mは「あのグレーのユニホームを着てプレーしたい!」という、たったそれだけの理由で、受験まで1年を切ったこの時期に、無謀にも立教から慶応に志望校を変更し、合格を目指すこととなった。 

余談だが、Mはこの時の試合内容をほとんど覚えていない。また、慶応はこの昭和56年春、東大にも勝ち点を奪われ屈辱のリーグ最下位となった。     (第3回へつづく)

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不定期連載・「少年Mと6大学」第1回。~序章~

選手権大会の延長18回の熱闘「箕島対星稜戦」を甲子園でナマ観戦したときから、中学校に入ったら本格的に野球をやりたいと思い始めていた小学6年生の少年Mは、元甲子園球児であった父が熱狂的な長嶋茂雄信者であったことから、立教中学校入学を目指し日夜勉強に励んでいた。立教の縦縞のユニホームを着てプレーすることは、Mにとっても父にとっても憧れだった。余談だが、Mは立教小学校受験、いわゆる「お受験」をしたのだが、このときは見事に玉砕していた。またMの弟のSは、数年後見事に立教高校(現立教新座高校)に合格したが、野球部ではなくラグビー部に入ってしまったため、父の夢は見事に打ち砕かれてしまった。

話を戻そう。小6の受験生Mは、隣近所に住む大学生Kに家庭教師をお願いしていた。Kは良く言うと野球が大好きで(悪く言うと野球バカ)、付属中学校から明治に通う、自称「俺の体には紫の血が流れている」と豪語する明治大学の学生だった。野球に興味を持ち始めたMと、野球好き(野球バカ)の家庭教師Kという組合せでは、まともな勉強などするわけがない。二人の話は専ら野球のこと、特にKが通う明治大学が参加している東京六大学リーグの話ばかりだった。立教に行きたいMと、野球好きの明大生Kが話をすれば、当然のことだろう。そして、東京六大学リーグを神宮に観戦しに行こう!という話がでることは必然であり、時間の問題だった。

とんとん拍子に東京六大学リーグ戦観戦の話が決まり、ついに二人は神宮球場に行く日を迎えたのであった。昭和56年春のことである。       (第2回につづく)

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日曜日は草野球。

今度の日曜日は、マッドドッグスの試合があります。高校野球も関東大会まで一休み、東京6大学も慶応・早稲田の試合は組まれていませんので、集中して試合に臨めそうです。

前回参加した4月8日の試合は、乱打戦の末、ライバル(勝手にそう思っていますが…)東京スポーツさんに敗れ、欠席した4月28日の試合は一転投手戦(貧打戦?)となり2-3でサヨナラ負けを喫してしまいました。

これで今シーズンの成績は1勝3敗1引き分け、現在3連敗中です。いい試合をしながらあと一歩のところで、詰めが甘く逆転を許してしまう…という嫌な展開が続いています。

「明るく楽しく気持ちよく」がモットーのチームですので、そのような試合ができれば勝ち負けは二の次だと思っていますが、それでもそろそろ勝ちたいなぁと正直思います。

今度の日曜日は、5月の青空のように、スカッとした試合ができるよう頑張ります。

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栽監督死去。

栽弘義監督がお亡くなりになりました。

75年センバツでは豊見城を率いてベスト8進出、90年・91年と沖縄水産を率いて選手権大会2年連続準優勝し、沖縄の野球レベルを全国レベルに引き上げた監督でした。

また、赤嶺(元巨人)、石嶺(元阪急)、新垣(現ソフトバンク)ら、選手育成の手腕も評価されていましたが、その一方で、真夏の連投で大野(準優勝投手)を故障させた選手起用法などを批判されることもありました。

65歳という若さでお亡くなりになったことは、沖縄の高校野球界や周りの方々にとっては大変残念なことだと思います。しかし現役監督のままその生涯を終えることができたことは、沖縄の野球を愛した栽さんにとって、とても幸せなことだったのではないかな、などと勝手に思ったりもします。

ゴタゴタ続きの高校野球界に堂々とモノをいうことができる名物監督が、また一人逝ってしましました。

栽監督のご冥福をお祈りいたします。

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関西方面はまだ連休中…。

関西2球団が未だに連休中・・・。

タイガースが8連敗、バファローズが10連敗と散々たる状態。昨日の試合も両チーム惨敗で、復調の兆しも見られません。特にタイガースに元気がないと、セ・リーグは盛り上がりませんね。(私はタイガースファンではありませんが…)

そろそろ何とかしないと、連休が明けないうちに「梅雨入り」しちゃいますよ。

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数字で楽しむ慶東戦。

本日の慶東2回戦は11-0で塾の圧勝。

慶応の中林投手、東大戦で被安打1、15奪三振、与四死球8で完封勝利。良かったのか悪かったのか判断しかねる内容。打っては2安打3打点。こちらは◎。

2番に下がった漆畑選手に久々のヒット。まずは一安心。

初打席初安打がHRという東京6大学史上初の記録を打ち立てた青山選手が、5番でスタメン、今日もHRを打った。おまけに盗塁も2個成功。1年生ながらなかなかやりますな。

……試合結果記録の数字だけ見ててもこれだけ楽しいのですから、神宮でナマで試合観戦できたら、もっともっと楽しいのだろうな、と思います。

ああ、できることならば毎週末神宮に通って、思う存分東京6大学リーグを満喫したい!

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早稲田と慶応、斉藤と中林。

5月5日のこどもの日の神宮は、盛り上がったようですね。

第一試合の早立戦は、9回裏の大ピンチを早稲田・斉藤投手が好リリーフで切り抜け開幕5連勝を飾りました。立教は開幕5連敗です。

早稲田・斉藤投手は先発・リリーフに大車輪の活躍で、人気・実力を兼ね備えたエース的存在となりました。このまま春季リーグ戦で活躍を続ければ、秋には「エース的」存在から、「エース」という称号と、伝統の背番号「11」を手に入れるかもしれません。

第二試合の慶東戦は、慶応のエース加藤投手が東大打線を7回12奪三振で被安打4、0封で抑え、どん底だった明治戦から復活の手応えをつかんだようです。個人的には1番を打っている漆畑選手の調子が、開幕当初に比べると落ちてきているかな、という感じがしていてちょっと心配です。

昨日(6日)は雨で、まさしく水入りとなりましたが、今日の神宮は、またまた盛り上がりそうです。仕事がなければ神宮に駆けつけたい気分です。学生諸君がうらやましいです。

早稲田は斉藤投手、慶応は中林投手(もしかしたら加藤投手かな?)の先発が予想されています。ご存知の通り、斉藤投手は夏の選手権大会優勝投手、中林投手は春のセンバツベスト8投手です。人気・実績ともに抜群の両投手が、早・慶のライバル校に分かれ、甲子園から神宮に舞台を移して活躍する…なんて素晴らしい胸がワクワクする光景なんでしょう。

両投手には怪我などせず、このまま順調に活躍していって欲しいと思います。そしてクライマックスの早慶戦で投げ合い、伝説の早慶6連戦にも勝るとも劣らない、新たな伝説と歴史を築き上げていってもらいたいと思います。

いよいよ、東京6大学リーグから目が離せなくなってきました。

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関東大会出場校決まる。

慶応高校47年ぶりの優勝で幕を閉じた神奈川県春季高校野球大会ですが、準優勝の日大藤沢、第3位の横浜創学館の3校は、春季関東大会へ出場することが決まりました(横浜は出場辞退)。

これで、5月19日から神奈川県の保土ヶ谷、横浜スタジアムでおこなわれる関東大会出場の各都県代表校17校がすべて決まりました。特待生問題で、各県の有力私立勢が県大会を相次いで出場を辞退したり、主力抜きで戦って敗れたため、代表校に占める公立校の割合が近年の中では最も高い大会となりました。(神奈川代表も例外ではなく、常連の横浜・東海大相模・桐蔭・桐光の私学4強のすべてが、春季関東大会の代表校落ちしたのは、今年を含めて過去20年間で僅か2回ということです。)

センバツベスト4の帝京も推薦出場を辞退し、当初19校だった代表校も17校となり、「目玉のチームがいない、代表校の面子も小粒だ」などといわれています。しかし、どんな理由があるにせよ、勝ち上がれなかった実力チームより、優勝という結果を残したチームの方が強いわけですから、代表校の皆さんは、県代表として堂々と胸を張って戦ってください。ここでの経験はきっと夏にむけての貴重な財産になります。

各県の代表校は以下の通りです。

前橋工業・太田市立商業(群馬)、国学院栃木・足利工大附(栃木)、竜ヶ崎一・藤代(茨城)、滑川総合・富士見(埼玉)、甲府商業・市川(山梨)、銚子商業・千葉経済大附(千葉)、東海大菅生・日大三(東京)、慶応義塾・日大藤沢・横浜創学館(神奈川) 以上17校。

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塾高優勝!おめでとう。

たった今、温泉旅行から帰ってきました。旅行中は神奈川県春季高校野球大会の決勝戦の結果が気になって気になって、なかなか家族サービスに専念というわけにいきませんでした。(かみさん、2人の息子よ、御免なさい)

帰るや否や、雨の中を近くのコンビニまで猛ダッシュし、スポーツ新聞を買ってきました。そしてそこには…

「慶応 8-6 日大藤沢 慶応は47年ぶり3回目の優勝」

涙が滲んできました。嬉しかったです。センバツベスト8の中林君(現・塾2年)が在籍していた時でさえ果たすことの出来なかった「神奈川制覇」という悲願を達成したのですから…。

思えば、吉原君、佐藤友亮君(現西武)の2枚看板がいた95年春の決勝は、東海大相模に敗れ準優勝。同年夏、第1シードとなり昭和37年以来の甲子園をかけた決勝も日大藤沢に敗れ準優勝(この試合はハマスタに観戦にいったんです…)。

98年秋の決勝も横浜に0-3で敗れ準優勝。錦織君―菊地君のバッテリーは印象に残っています。因みにこの時の秋の関東大会は、1回戦で千葉の柏陵に0-8から試合をひっくり返され、センバツ出場を逃したという悔しい思い出があります。

04年秋はエース中林君を中心として、準々決勝で桐光を敗り、準決勝では平川君の満塁HRで横浜を下したものの、決勝では東海大相模に敗れまたまた準優勝。(この後の秋の関東大会はベスト8進出し、センバツに出場したことは記憶に新しいところです。)

センバツベスト8の実績を引っさげ登場した05年春の県大会も、決勝で日大高に9回5点差を追いつかれ、延長で大逆転負けを喫し準優勝。春の関東大会も決勝で作新学院に敗れ準優勝。

05年夏の県大会では4回戦で横浜、準々決勝で平塚学園(この時の平学エースは現法政大2年の上野投手)、準決勝で東海大相模を次々撃破したものの、決勝戦の桐光戦で連投の中林君が力尽き準優勝(この試合も仕事を休みハマスタで観戦)……。

まさに準優勝のオンパレード。どうしても決勝で勝てない。あと一歩というところまで迫りながら、優勝という二文字がどんなに遠かったことか…。

塾高の春の神奈川制覇は47年ぶりのこと、夏・秋を通じても45年ぶりのことだそうです。先輩達が越えられそうで越えられなかった壁を突き破った今年の塾高野球部の皆さん、優勝おめでとう。そして優勝に驕らず、でも誇りは胸に、夏へ向かって一層の頑張りを期待します。

今年の夏は、不本意ながら春を辞退した横浜・東海大相模をはじめとする強豪校や躍進著しい公立勢らが虎視眈々と巻き返しを狙っており、春以上に厳しい戦いになることは必至です。

塾高は春の優勝校ですが、横浜・東海・桐蔭・桐光・商大・隼人・創学館・隼人・平学・藤嶺・鎌学らとは戦っていません。優勝はしたものの「真の王者」だと認めていない高校野球ファンも多数います。各校の挑戦を受けてたつのではなく、塾高がチャレンジャーとして各校に立ち向かっていきましょう。

そして夏に、塾高が誰もが認める「真の王者」となった時、その時こそ昭和37年以来の甲子園出場というもう一つの悲願が達成される時だと思います。

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家族サービスしてきます。

5月4日から6日まで、ちょっとした近場の温泉に行ってきます。野球バカの私のために、日頃さんざん迷惑をかけている家族への、お詫びと感謝の気持ちです。企画からスケジュール・宿の手配等すべて私が段取りました。

ということで、しばらく(6日夜か7日まで)の間、このブログは更新しません。野球のことは一切忘れて、精一杯家族サービスしてきます。

4日の朝5時30分出発予定ですので、今晩はもう寝ようと思います。

それでは、おやすみなさい。

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憲章と憲法。

高校野球で特待生制度が問題になっています。日本学生野球憲章という約60年前に制定された条文の内容が、現実にそぐわない内容になっていて、厳格に条文の規定を適用しようとする高野連に対して、条文を現実にあった内容への見直し・改正すべきといった意見が出て、世間をにぎわせています。

これは高校野球界のことですが、憲章を憲法と置き換えてみると、どうでしょう。

日本国憲法が施行されて60年です。だんだん条文の内容が現実にそぐわなくなってきていています。しかし現在、憲法改正を行う為の手続きに関する法律は存在しておらず、その為、将来その内容を改正する為に必要な手続きに関する法案が、今国会で可決される見通しになっています。

高校野球界の憲法というべき「日本学生野球憲章」に対しての議論がこんなに活発に世間で繰り広げられているのに、日本の憲法に対しての議論はなかなか盛り上がらず活発化していません。高校野球界のことも大事ですが、憲法問題は国のあり方を決める、他と比べものにならないほど重要な問題です。憲章問題のように、憲法についてももっともっと活発な議論がなされることを期待しています。

今日はなんでお休みだか、知っていますか?ゴールデンウィークだからじゃないんですよ。

今日は「憲法記念日」なのです。

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巨人5000勝。

巨人軍が昨日の勝利で、通算5000勝を達成しました。約70年かけての5000勝ということは、単純に年平均70勝以上しなければ、達成できない数字です。やはり伝統と歴史は他の球団の追随を許さず、現状はどうだかわかりませんが、現在に至るまでの日本のプロ野球界を引っ張ってきたのは巨人軍であったという事実は認めざるをえません。

それにしても、1000勝目の広島以外、2000・3000・4000・5000勝という節目の勝ち星を、すべて中日から挙げていることに驚きました。めぐり合わせの不思議さは、時に奇妙な偶然をもたらします。中日はまたしても、あまり名誉でない記録を球史に残すことになってしまいました。

5月に入り、巨人は好調ですが、果たして今シーズン終了時にどのくらい通算勝ち星を増やせるでしょうか?5065勝前後まで積み重ねられれば、5年ぶりのV奪回も夢ではないでしょう。

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嬉しいけど、がっかり。

神奈川県春季高校野球大会の準決勝に進出した横浜高校が、例の問題で出場を辞退しました。高校野球特別規則16の(ハ)により、準々決勝で横浜に敗退した東海大相模が準決勝進出の権利を得たのですが、その相模も同じ問題で出場を辞退してしまいました。(特待生問題については当ブログの「野球特待生問題について」「…2」「…3」もご覧ください)

5月4日にハマスタで横浜と対戦する予定だった我が母校慶応高校は不戦勝となり、戦わずして決勝進出となりました。

決勝進出は素直に嬉しいのですが、強豪・横浜に塾高がどこまでやれるのかすごく楽しみにしていたので、ちょっとがっかりです。

そういえば、横浜・東海大相模が5月中の対外試合を辞退したということで、関東大会出場校はいったいどうなるのでしょう?

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野球特待生問題について 3

「日本学生野球憲章」を読んだことがありますか?日本高等学校野球連盟(高野連)のホームページにその条文が掲載されています。憲章の前文の内容を要約すると以下のようになります。

「われらの野球は学生野球である。学生であるという自覚を基礎として、それを忘れてはわれらの野球は成り立たない。勤勉と規律を遵守しなければならないし、怠惰と放縦に対しては常に厳しく対処しなければならない。野球というスポーツがもつ本来の意味と価値に加え、更に、フェアな精神を体得する事、いかなる状況にも驕らず・屈せぬ明朗強靭な情意を涵養する事、強健な身体を鍛錬する事、がわれらの野球の理念である。この理念を想望して定めるのがこの憲章である。」

この内容をみればお分かりになると思いますが、日本学生野球連盟、あるいは日本高校野球連盟という組織は、単純に野球というスポーツをプレーする団体が所属する組織でなく、健全な精神と強健な肉体修養を主たる目的として、その手段として様々な制約を加えた「学生野球」という、本来の野球とは似て非なるものを取り仕切っている特異な組織なのです。

この連盟に加盟している団体は、どんな理不尽なことをいわれようとも、それがその連盟の規約の中に明記されている以上従わなければなりません。「他のスポーツがOKなのに、野球だけがNGなんてバランスがとれない。」なんていう理由は通用しないのです。私学中学高等学校連盟が要望書なんて提出しても、高野連が受け付けないのは当たり前のことです。連盟の規定が明文化されており、具体的事例まで挙げて説明している以上、それを承知で加盟していると判断しているわけですから。

高野連は、特待生問題の問題点、その法的根拠、現時点での違反校に対するペナルティ、改善の要求とそれがなされない場合のペナルティ等、を明確に示していてその対応も首尾一貫していてます。組織を運営する立場がとるべき姿勢という点では評価できると思います。

ただし、姿勢は評価できても、高野連が示している内容は腑に落ちません。

私自身、「野球特待生問題について」、「野球特待生問題について 2」を書いてからも、この問題についての様々な報道に接し、たくさんの人から意見を聞き、そして十分に考えてきました。そしてやはり、

①高野連の存在と運営の法的根拠となっている特異な「日本学生野球憲章」と、その中にある現実にそぐわなくなった憲章13条を厳格にしか適用できない硬直した体質(見直し・改正といった視点がまったくない)

②ペナルティの対象が学校だけでなく、野球部員にもおよんでいること。

③ペナルティ実施期間が5月という時期であること。(是正していくならば、即ペナルティ実施ではなく、指導期間あるいは猶予期間ということで新年度生募集からの廃止を行うべき。)

この3点が、特待生問題を混乱に陥れている原因と思われます。高野連は自分の体裁を守ることしか考えていないようにみえます。本当に考えなければならないのは、今野球をしている野球部員のことだと思います。特に3年生は最後のシーズンをむかえて、今一番大事な時期です。夏に悔いのない結果が残せるよう、くじけずにこの試練を乗り越えてください。

ということで、「野球特待生問題について」は、今回のブログを最後にしたいと思います。

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視聴率低迷の原因はTV局にある。

4月の巨人戦の平均視聴率が10.8%(ビデオリサーチ調べ)で、今まで最低だった昨年4月の平均12.6%を下回ったとのこと。

そりゃそうだ。試合があるにもかかわらず、日によって中継したりしなかったり、コマーシャルばっかりで回の先頭打者は既に打ち終わったりしているし、試合内容そっちのけでゲスト芸能人の番宣ばっかりだし、複数の野球解説者によるわかるようでわからないウンチク話をひっきりなしに聞かされたり、TV局側の都合で試合内容に関係なく勝手に放送を打ち切ったり…。

こんないい加減な中継をしてれば、野球ファンだってTVを見なくなるのは当たり前だ。野球ファンは、息を呑むような真剣勝負を球場そのものの臨場感で見たいのだ。こんなバラエティ化しておちゃらけて腑抜けした、いい加減な中継をしておいて、「野球人気が落ち込んでいるから視聴率が・・・。」なんていう言い草をしているTV局関係者は本当にそう思っているのだろうか?

グラウンドで繰り広げられている選手たちの熱い戦いは、昔も今も全然変わっていない。いや、むしろ現在のほうが、選手たちの間に危機感があり真剣で緊迫感のある素晴らしいプレーが溢れている。球場にいって生で野球観戦してみれば、試合中の張り詰めた雰囲気はヒシヒシ伝わってくる。スタンドの興奮も変わっていない。ちっとも野球人気は低迷していない。

こういう素晴らしい臨場感を伝える放送技術は、格段に進歩しているはずだ。ハイビジョンにしたって選手のユニホームのメッシュまで見えるクリアな画像だ。解説者は要らない。余計なCGなど使わず、ただ、選手たちの熱きプレーをありのまま中継する。選手たちの額から流れ落ちる汗、投手が投げるときに指先からパッと広がるロージンの白い粉、ランナーがスタートを切るときに跳ね上げるグラウンドの土…。想像しただけでも胸がワクワクする映像だ。あたかも自分が球場で観戦、いや選手と同じフィールドにいるような錯覚にとらわれる。

本来、放送技術の進歩はこういう風に使うべきものであって、やたら凝ったゴチャゴチャしたCG等過剰な演出に使うものでは断じて無い。こういう行き過ぎた演出は野球というスポーツの本質を見えなくする。技術は進歩しているが、その使い方が間違っているのだ。

野球自体が「筋書きの無いドラマ」といわれる以上、それを中継するのに余分な一切の演出は必要ない。そのことに気がつかない今のTV局は、野球を放送する資格はない。

野球の人気が低迷しているから視聴率が取れないのではなく、視聴者のニーズにあった中継の仕方をしていないから視聴率がとれない、という問題の本質をTV局側にははっきり認識してもらわないと困る。なぜならメディア全体の中でTVの社会に与える影響はいまだに大きいからだ。情報の発信の仕方一つで、大衆を自由にあやつることができる力を持っているというべきであろうか。視聴率が悪くなった=野球がおもしろくなくなったという誤った論調が、今世間に蔓延している。いろいろなスポーツが脚光を浴びるようになり、野球がスポーツの中心という時代でなくなったことは事実だ。ただ、スポーツのニーズが多様化しただけであって、野球そのものが持つ本質まで変化したわけではない。野球は昔も今も魅力のあるスポーツであることに変わりはない。

野球人気凋落の原因を自ら作っておいて(もちろんTV中継の仕方が原因のすべてではないが)、更に人気が無い(=視聴率が取れない)から中継を控えるというTV側の勝手な論理は、ちょっと前の日本の景気にみられたデフレスパイラルみたいなもので、悪循環のサイクルは次々に繰り返され、いずれジリ貧となってしまう。いい加減な中継しかしないのならば、いっそのこと野球中継などしないほうがはるかにいい。このままいったら野球はTVに潰されてしまう。

野球だけの問題ではない。視聴者がどのような内容の放送を見たがっているのかというニーズを探る努力をしない最近のTV局は、企業として誠意ある努力をしていないといえるのではないか。今人気があるものに安易に便乗して、こぞってそれを取り上げ、もてはやし、人気がなくなると手の平返しでスパッと見捨ててしまう。かと思えば情報をでっち上げ、でたらめなことをさも真実だと堂々と放送し、おまけにそれを自分でチェックすることもできない。自分たちで、新たなものを見出し、取り上げ、育て、正しく伝え、広めていくという、メディアが本来担わなければならない重要な役目を果たしていないばかりか、放棄しているようにも見える。

情報伝達のメディアが多様化している現在、こういう不誠実・無責任かつ寄生虫的(便乗的)姿勢を改めない限り、TVという媒体そのものが社会からいずれ見限られてしまうだろう。TV関係者は危機感をもって自分たちの存在意義を再考していただきたい。

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