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「少年Mと六大学」第5回。~高校時代~

昭和60年4月、Mは慶応義塾高校に進学した。自ら甲子園球児となるべく硬式野球部の門戸をたたくが、体験入部の段階で、そのあまりの厳しさについていけず挫折、またも慶応のグレーのユニホームを着ることができなかった。そしてMは塾高野球部と大学野球部を応援することにその高校生活の全てを、いや80%を、いや50%くらいを、ささげることとなった。

昭和60年春季の東京六大学リーグは、西川を中心とした法政が強く、2分けがあったものの10戦全勝で優勝を飾っていた。一方の慶応は3位で春季リーグを終える。打撃陣の2枚看板である仲沢・相場が健在、投手陣に前年甲子園で大活躍した左腕志村亮が加って、初シーズンながら3勝を挙げる活躍をする。本格派右腕鈴木哲との2本柱が完成し、投手陣も整備され、昭和48年から続く長期低迷から脱し、いよいよ復活の兆しが見え始めていた。

そして、ついに昭和60年秋季リーグ戦が開幕する。。開幕から慶応は投打の歯車ががっちりかみ合い快進撃を続ける。仲沢・相場、志村・鈴木の投打の両輪が活躍し、全勝(1引き分け含む)でクライマックスの早慶戦を迎える。もちろんこの早慶戦をMが見逃すわけが無い。「早稲田に負けて優勝しても、喜びは半減だ!連勝で宿敵早稲田を倒して、全勝優勝だ!!」と、とうの野球部員以上に入れ込み、目が血走りながら、神宮に連日駆けつけたのである。

試合は、2試合とも慶応が早稲田に快勝し、57年ぶりに全勝で優勝を飾ることとなった。昭和47年秋以来実に13年ぶりの優勝であった。(慶応はこの後行われた明治神宮大会でも優勝を飾り久しぶりの日本一となった。)Mは歓喜で一体となった応援席で、その喜びを爆発させていた。早慶戦勝利の時しか歌うことができない名曲「丘の上」を、うれし涙を流しながら思いっきり歌った。あの「丘の上」を越える感激は、いまだに体験していない。

さて、Mは当然、優勝後に行われた三田校舎までのパレードに参加した。三田校舎内特設ステージでの祝賀会を堪能した後、一緒だった塾高の先輩に連れられるまま日比谷公園へなだれ込み、初の噴水水泳を楽しむこととなった。

Mの高校時代(昭和60年~63年)は、強打者中根仁擁する法政、武田・平塚・舟山という強力投手陣を持つ明治、そして慶応が三つ巴の様相を示し、常に優勝争いを繰り広げていた。慶応は鈴木哲・志村の投手陣2本柱と、相場・加藤(S62春・首位打者)・猿田(S62秋・首位打者でS63年度主将)に加え、大森剛が入学しまさに充実期を迎えていた。慶応は昭和62年春にも優勝、大学選手権でも優勝し、再び日本一となった。

そんな中、早稲田には常総学院から仁志・川原、帝京から大井・横田が入学し、立教には長嶋一茂・矢作らが在籍して、東京六大学を一層面白いものにしていた。

Mは、強い慶応をリアルタイムで体験することができた。そして、その体験は、Mの東京六大学への並々ならぬ興味をさらにかきたてることとなった。(第6回につづく)

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