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「少年Mと六大学」第4回。~中学時代・2~

昭和57年春の東京6大学は、法政大学が圧倒的な強さを見せ、法政野球部史上初の10戦全勝で優勝を決めていた。打者では小早川・銚子、投手では和田・西川といった豪華メンバーを揃え、向かうところ敵無しの強さだった。早稲田は2位と意地を見せたが、慶応は昭和48年以来優勝から遠ざかる大不振の真っ只中で、この季も5位とまったく振るわなかった。

早慶戦の歴史と伝統を、家庭教師Kから話では聞いていたものの、優勝とは関係ないリーグ戦の1試合ぐらいにしか考えていなかったMは、朝10時にJR信濃町駅に着いたときに、神宮の杜が一種独特の雰囲気に包まれていることを察知した。そしてその異様な雰囲気は、神宮球場に近づくにつれドンドン増大していった。それはそうだろう。塾のすべての学校は休校になり、幼稚舎から高校までのほとんどの生徒が学生席に集まるのだ。また、当然大学の講義も全部休講となり、サークルに所属している1・2年生は後から球場にくる上級生のために、少しでもいい席を大量に確保しなければならず、前の日から神宮外苑に寝袋持参で泊まり込み、順番待ちをしているのだ。(中には雀卓持参で麻雀しているモノもいた。)

学生席に着席すると、13時試合開始にもかかわらず11時頃からすでに早慶スタンドからの応援合戦が繰り広げられ、ボルテージは試合前から最高潮に達していた。初めての体験にMは圧倒された。優勝も絡まないのになんで?と思ったが、あっという間にその異様な雰囲気に飲み込まれ、同化してしまうのにそんなに長い時間は必要なかった。

塾旗の厳かな入場、早慶スタンドが一体となっての早慶讃歌の合唱、エールの交換、試合中に響き渡る♪パラララッパパ~♪、ダッシュケイオー、若き血、三色旗の下に…に代表されるすべての応援歌に共通する「慶応」の連呼。塾の一員であることを洗脳にも近い形で刷り込まれて、Mは試合後の塾歌斉唱のときには、小さいながらも愛塾心に目覚めた立派な塾生になっていた。

そんなMが、その後東京六大学にドップリはまっていったのは十分理解できよう。

Mが普通部に在籍していた間、慶応は優勝することが出来なかった。しかし、昭和57年春から前田祐吉監督を向かえ、投手では萩田、野手では上田・仲沢・相場(現塾野球部監督)・三木らを中心に徐々に力をつけていった。

この時期は、前述のスター選手揃いの法政、竹田光訓・広沢克己の投打の2枚看板を擁する明治、江上・木暮の早稲田、孤軍奮闘する立教のエース野口裕美、甲子園で都立国立旋風を巻き起こしたバッテリー市川・川幡が入学した東大と、各大学に個性的な注目選手がいて、現在にもまして面白く熱き戦いが繰り広げられていた東京六大学リーグであった。      (第5回へつづく)

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