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神谷不二氏、ご逝去。

神谷不二慶応義塾大学名誉教授が20日午前2時39分82歳でお亡くなりになられました。

私は塾政治学科在学中、退官直前だった神谷教授の現代国際政治Ⅰ・Ⅱ(←正式な講義名でなかったらすいません)を受講させていただきました。確か「朝鮮戦争をめぐる米朝・米中関係が戦後の日米関係に及ぼした影響について」の講義内容だったと思います。興味のある内容だった為、余程のことがない限り毎回出席していました。椅子に腰かけマイクを使い淡々とした口調ながらも問題点をビシッと明確に指摘されるたびに、「ほほ~」と唸り「なるほどねぇ~」と感心していましたが、成績はⅠ・ⅡともにBだったような記憶が…(苦笑)。

2007年12月には塾150周年記念事業の一環として行われた「復活!慶応義塾の名講義」のオオトリを飾り、「日本の国家戦略」という題目で講演されました。

これから混迷を極め難しい舵取りを迫られるであろう日本外交に、明確に指針を示し誰に臆することなく意見できる名教授・国際政治学者がこの世を去ってしまうことは非常に残念でなりません。

心からご冥福をお祈り申し上げます。

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「サラ川」を笑うだけでなく、肝に銘じて。

漢検…ひっどいですね~。

書籍販売料や検定料やらをガッポリ徴収しておいて、業務委託と称して66億円ものお金を理事長・副理事長の経営する会社に支払っていたということですよね。財団法人でありながらトップの私腹を肥やすための手段として漢字検定試験が行われていたわけですから、もうあきれてモノもいえません。漢字の勉強なんて自分でいくらでもできるわけですから、これを機にしばらく漢検ボイコットでもして悪代官共を懲らしめてやらなければいけませんね。(それにしてもこの構図、中央省庁と所管の独立行政法人、その独立行政法人から業務を受注している役人の天下り先企業との関係に良く似てますよね。不景気に関係なく金を儲けるには、こういう図式が最も効率的ということなのでしょう。)

汚染米の転売事件、かんぽの宿1万円での売却、そして今回…、こういう類のニュースが報道されるたびに、最近のいい大人の公私混同・権利ばかり主張し義務を果たさないという姿勢・社会性の欠如・社会的モラルの低下を痛感しますね。大人がこんな有様では、子供にいい影響があるとはとてもとても…。

「子は親を映す鏡」といいますがその子をみれば親の資質がわかるといいます。生まれてきたばかりの赤ちゃんは泣くことしかできません。いろいろな所作ができるようになるのは、親を見て、親から教わり、親からしつけられるからです。

そして親から少しずつ手が離れ小学校や中学校という新たな場で社会生活を始めた子供たちは、教師や近所の住民らといった周りの大人達から、所作とともに「公」と「私」という概念を学び、社会の一員としての素養や振る舞いを身につけるのです。

子供は必ず大人を見て育ちます。子供の間に生じてきている問題の原因は必ず大人側にあるのです。己の社会性の欠如やモラルの低下を棚に上げて、「いまどきの子供は…」と一方的な批判をするのはお門違いもはなはだしいです。「いまどきの子供」を作ったのは、だらしなくなってしまった我々大人の責任であるということを、もう一度自覚しなければなりません(自戒の念をこめて…)。

昨日発表されたサラリーマン川柳100選の中に次のような句がありました。

   子どもより 大人に足りぬ 羞恥心

「えらい大人」になんかならなくていいです。この句を笑いの対象としてでなく、肝に銘じて、己を律し他人を律し子供を律っすることができるような「立派な大人」になれるよう、日々努力していこうと思います。

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今回の事件で考えたこと。

慶應義塾大学生の大麻事件について。

何もいうことはありません。人として法を犯すことは絶対に許されないことです。猛省を促すとともに、キッチリ法の裁きを受けていただきたいと思います。

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【慶應義塾の目的】

慶應義塾は単に一所の学塾として自ら甘んずるを得ず。其目的は我日本国中における気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言ふのみにあらず、躬行実践以って全社会の先導者たらんことを欲するものなり。

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【独立自尊】

心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云う

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塾が塾生達を規制・規則でがんじがらめに縛り上げ徹底した管理体制下に置くということは、「独立自尊」という塾が創立以来掲げてきた社会に誇る恒久不変のアイデンティティを自らの手で破棄するということです。「独立自尊」を破棄した慶應義塾は、もはや慶應義塾という名だけを残した単なる一所の学塾にすぎません。

今回の事件は個人的な犯罪だとは思いますが、社会は慶應義塾の起した事件であるという捉え方をしています。決して他人事ではありません。慶應義塾が慶應義塾としてのアイデンティティを保てるか否か、それだけ大きな影響を及ぼす事件だということを認識して欲しいと思います。

それゆえ塾生諸氏には、これを機にじっくりと考えて欲しいと思います。

気の緩んだ軽はずみな言動一つが、150年かかって築き上げた伝統と歴史ある慶應義塾を、一瞬にして慶應義塾という名だけを残した亡骸に変えてしまうかもしれないことを。

慶應義塾の名に甘え頼り利用するばかりで、その名を更に高めるべく努力を怠っていないだろうか?

そして、

人として、謙虚で驕り高ぶることなく誠実で実直だろうか?

学生として、その本分とは一体何か、何の為に何故学ぶのか、学ぶ姿勢とはいかなるものかをしっかり認識しているだろうか?

塾生として、諸先輩方が150年間かかって築き上げた慶應義塾で学んでいることの意味とは何なのか?

…そうすることで、150年間で培われた伝統を受け継ぎ守り発展させ後輩に引き継いでいくという、自らの使命が全うできるのだと思います。

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そして我々塾員にも重要な使命があります。

いつまでも塾に甘え頼ることなく、学んだことを積極的に活用し社会に貢献しなければなりません。気品の泉源・智徳の模範を常に心に留め、全社会の先導者となるべく努力を怠ってはならないのです。そうすることで慶應義塾の社会的価値・存在意義を高め、塾生が安心して学ぶことのできる環境を整えていくことができるのだと思います。

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…私は、徹夜麻雀・二日酔い・授業をサボるなんていうことはしょっちゅうで、決して立派な(普通レベル?)塾生なんかじゃありませんでした。でも慶應義塾という学校は大好きでした。それだけに今回の事件には非常なショックを受けました。

「まさか塾で…。しかも日吉敷地内で…。」

情けないというか裏切られた時の虚無感というか、何とも言いようのない感情に包まれてしばらくは言葉を失いました。

しかしながらこの非常時にこそ、それぞれがそれぞれの立場でできることを明確にするべきではないか、もう一度原点に戻って「慶應義塾で学ぶ」ことの意味を再確認することが大切なのではないかと思い直したのです。

その思いと、この事件を無視して他の話題について書くことはできないという2つの思いから、今回この記事を書かせていただきました。

まとまりない長文にお付き合いしてくださいまして心から感謝申し上げます。

ありがとうございました。

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物騒な警報。

野球の話ではありませんが、今日付けの読売新聞社会面で気になる記事を見つけたので一言だけ。

原発設備が多数存在している福井県美浜町の防災無線から「ミサイル発射情報。当地域にミサイル着弾の恐れあり」というなんとも物騒な放送が流れたとのこと。

もちろんこれは警報システムの誤作動による誤報でしたが、さてミサイル着弾警報なるものが出されて、その地域に住んでいる住民は僅かな時間の間に一体どうすればいいのでしょう。

緊急地震速報ならば、火を消したり身の安全が守れるところに避難したりできるかもしれませんが、ミサイルではねぇ…。

机の下にもぐっても意味なさそうだし…。

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「小泉信三展」開催。

5月8日付読売新聞・都民版に、5月8日から21日まで慶応三田キャンパス内旧図書館にて、生誕120年を記念して「小泉信三展」が開催されるという記事が載っていました(入場は無料)。

小泉信三氏は1888年5月4日東京生まれ。慶應義塾大学部政治学科卒業後、1916年から慶大教授となり1933年から47年まで慶應義塾の塾長としてご活躍されます。

学者、塾長として有名ですが、1922年から32年まで庭球部部長を務めていることからもおわかりのように「塾體育會」との関わりも非常に深くその発展にご尽力されました。氏の言葉である「練習ハ不可能ヲ可能ニス」は、塾體育會の在り方を定義付ける基本的考え方として現在も脈々と受け継がれています。

そして氏のエピソードとして最も有名なのは、戦時色が濃くなり野球に対する官僚・軍部からの日増しに強くなる弾圧をはねのけて実現させた1943年10月16日戸塚球場での「出陣学徒壮行早慶戦」(通称「最後の早慶戦」)ではないでしょうか。

塾野球部員達の「出征前に是非早慶戦を!」という熱い想いを受けて、早稲田側との交渉に自ら臨み軍部・官僚のいかなる弾圧にも屈しなかった氏の信念に基づく行動力がなければ、この「最後の早慶戦」は実現されなかったでしょう。試合当日氏は戸塚球場に用意された特別席での観戦を「塾生と一緒の方が楽しい」と丁重に断り、学生席で観戦したというエピソードも残っています。

そして軍部・官僚に屈せず戦時中の野球弾圧の無意味さを一貫して強硬に主張し続けた学生野球に対する氏の功績が認められ、没後10年たった1976年に野球殿堂入りを果たしています。

記事は次のように結ばれています。(『 』内引用)

『内覧会に出席した二女の妙さん(82)は「慶応にささげた一生だったので、このような展示会を開いてもらって父も喜んでいると思います」と話していた。』

開塾150周年を迎える今年、これからの塾の在り方・将来像を語り合う上でも、塾・塾生の為に生涯尽力された小泉信三元塾長の業績と足跡を、塾社中の皆さんが改めて振り返るいい機会となるのではないでしょうか。

特に現役塾生は必見、そうでない方も訪れる価値は十二分の催しだと思います。

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塾体育会主催の「桜スポーツフェスタ」のお知らせ。

お知らせを一つ。

3月29日(土)に「第1回・桜スポーツフェスタ」が開催されます。主催は慶應義塾体育会および桜スポーツフェスタ実行委員会。場所は横浜市港北区にある慶應義塾下田グラウンド及び下田学生寮にて、時間は9時~16時までを予定。雨天の場合は翌30日に順延されます。

(詳細は塾野球部HP内の桜スポーツフェスタのバナーをクリックしてください。)

この桜スポーツフェスタは、慶應義塾創立150周年記念事業の一環として、地域と塾体育会との新たなつながりを構築する為にスポーツを切り口に両者の交流の機会を作り出そうという試みです。

参加する体育会は、下田地区にグラウンドがある硬式野球部、蹴球部、ホッケー部、ソッカー部、ソフトテニス部の5部。スポーツ体験教室や試合、ステージイベントなどが予定されていて、日吉地区12町会を中心とした地域の方々約2,000人が来場見込みとなっています。

当日の詳細はまだはっきりしませんが、ポスターを見る限りスポーツ体験教室(午前中はサッカー・ラグビー・ソフトテニス、午後は野球・ホッケー・ソフトテニス)や試合の観戦(ホッケー・ラグビー・サッカー、いずれも14時から)、5グラウンドをめぐるスタンプラリーの実施(豪華景品が当たるらしい…)、記念グッズの販売、お花見+焼きソバ・豚汁・綿アメ・甘酒・餃子等の販売…などなど、盛りだくさんの内容のようです!

地域と学校が一体となった素晴らしいイベントですね。まさに日吉が、塾を媒体に一体となるお祭りといっても過言ではないでしょう。

慶應義塾の「義塾」は、パブリック・スクールを福沢諭吉が日本語訳したものです。学び・教え・教えられる場としてだけでなく、あらゆる人々が気兼ねすることなく交流することができる開かれた場、それが「義塾」なのかもしれません。そういった意味では今回の「桜スポーツフェスタ」は、福沢の精神を見事に具現化した慶應義塾ならではのイベントといえるでしょう。

もちろん私も、当日センバツ大会で塾高野球部の試合が組まれていなかったら、絶対に子供を連れて日吉・下田グラウンドへレッツゴー!です。

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遺憾。

海自のイージス艦と漁船の衝突事故が今朝起こった。

海自・吉川幕僚長のコメント。

「このような事故を起こし、誠に遺憾であり、国民の皆様にお詫び申し上げる。」

【遺憾】…思い通りにいかず心残りなこと。残念。気の毒。(広辞苑)

国民の生命・財産を守るのが任務の自衛隊が、原因・理由はどうあれ、それを危機的状況に追いやったということは動かせない事実だ。その事故を引き起こした当事者・海自の最高責任者が「遺憾」などという文言を使うとは…。断じて許せない。

事故を起し、2人の行方不明者を出してしまったことは、「心残り」なのか?「残念」なのか?「気の毒」なのか?

どう考えたっておかしいだろう。「遺憾」は、事故や不祥事に対して第三者的立場にたっていられる人が使う文言であって、当事者が使っていい文言ではないはず。

「誠に遺憾」などという気取った文言など使わずに、「事故を起してしまって申し訳ありません。心からお詫びします。」この一言で充分だろう。

最近何かといえば「遺憾」という文言が謝罪を要する多くの当事者から語られるが、彼らは「遺憾」の本当の意味を知らないのか、それとも身内の重大事由として真剣に捉えていないことの表れか…。

まずは、行方不明になっている2人の漁船乗組員の無事を願わずにはいられない。

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明治大学応援団解散。

明治大学応援団が解散することになりました。原因については皆さんもご存知の通りです。

1922年に創設され、島岡吉郎野球部監督も学生時代応援団長を務めた名門応援団の伝統と歴史は、86年で途絶えることになりました。

バンカラ・男気は応援団の代名詞でありました。バンカラとは「自分の外見を飾ること以外の何事かに、より熱心であること」、男気とは「一時の私利私欲や感情に流されず、自分の信念を貫き通すこと」。

人に何と言われようと愚直なまでに母校を愛し、誇り、一生懸命頑張る学生をひたすら応援し続け、学生の士気を鼓舞させ続けなければならない応援団。その体制維持には他にも増して厳しい紀律があり、その意に反した行動があった場合には鉄拳制裁を加えることもあったことでしょう。ただその裏には「心」があり「愛」があり「情」があり、制裁を加えた者は加えられた者よりもより大きな痛みを心に感じていたと思います。

経理を担当していた団員が先輩団員にアドバイスをきくことが他学年との団員とのコミュニケーションを禁じた団内紀律に違反したとして制裁の対象となるのでしょうか?複数の団員により下級生団員の下半身を強制的に露出させVTR撮影すること、制裁手段として熱湯をかけるという暴挙…。

「心・愛・情」といった部分が失われた、ただ厳しく形骸化された紀律や鉄拳制裁は、暴力・いじめ以外の何物でもありません。

東京六大学出身者としては、名門・明治大学応援団の解散は非常に残念でなりませんが、体裁だけを気にして「心・愛・情」を持たない応援団ならば、母校応援の指揮を執る資格は全く無いと思います。現状を改めていく意思がないのであれば、解散も止むを得ないのではないのでしょうか。

「心・愛・情」のある応援団として、いつの日か明治大学応援団が再興されることを願わずにはいられません。

2月3日・補足

ここで取り上げている「応援団」は、リーダー部のことを指しています。明治大学応援団は、リーダー部・チア部・吹奏楽部の三部で構成されていて、チア・吹奏楽はそのまま活動を続けます。言葉足らずで誤解を招くような表現がありましたこと、ここにお詫び申し上げます。

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存続か、廃止か。

ガソリンの暫定税をめぐる与野党の攻防が今通常国会での焦点といわれています。与党は、道路建設の為の必要な財源でこれを廃止すると国・地方合わせて2兆6,000億円の税収が不足する為存続を主張し、野党・民主党は、暫定税を廃止することで国民の負担を軽減するべきだと主張しています。地方の首長たちも、これ以上都会と地方の格差を生じさせない為にも道路整備は絶対に必要だと主張し、暫定税存続を訴えています。

都会では道路がほぼ整備され車以外の交通手段も充実し、暫定税率の廃止による負担減を望む意見の方が多いかもしれません。しかし公共交通網が整備されておらず車以外の交通手段が無いに等しい地方では、本当に必要な道路の整備は重要な課題である一方で、道路が整備されてもガソリンの高騰が続けば車に掛かる費用(ガソリン代)の為、地方住民の負担はますます増大するという矛盾が生じてくることも事実です。

私は「暫定税率は廃止」すべきだと思っています。

【暫定】…本式に決定せず、しばらくそれと定めること。かりにとりきめること。(広辞苑)

暫定という名称を用いながら約30年もの間、恒久税のごとく科せられ続けたこの税金により、国と地方は道路整備を着々と続けてきたことは間違いない事実です。ではその30年もの間作られ続けてきた道路により、地方の振興はなされ、発展してきたのでしょうか。都会と地方の地域格差は解消されつつあったのでしょうか。今の日本の現状をみれば、これだけ疲弊してしまった地方をみれば、答えははっきり「NO」といえるでしょう。

暫定税による莫大な税収で、過去30年もの長きににわたって作られ整備され続けた道路ですが、それがこれまで地域発展・地方格差の是正に全く成果があがっていないのならば、今から何十年いや何百年道路を作り整備し続けても結果は同じではありませんか。つまり道路を作り整備しつづけても、地方の発展・地域格差の解消には何の役にも立たないと思うのです。

本来、道路などのインフラが整備されれば、物流や人事の交流が活発となり産業が発達していくはずなのですが、では何故現状のような地方格差の問題が生じているのでしょうか。

答えは、「30年間、地方の首長が地方行政を行なわなかったこと。」

この30年間、地方は真剣に、インフラ整備により利便性が良くなることをアピールして企業誘致活動や企業が進出しやすくするための税制優遇措置などの法的整備を積極的に推進してきたのでしょうか。

道路整備事業に直接的に関わる地元産業(主に建設・土木)だけに頼り、道路整備による2次的効果が期待できそうなその他の地元産業の保護・育成・発展に努めてきたのでしょうか。

道路を作ること=地元産業振興という公共工事頼みの国と地方の関係(地方の発展段階の過渡期には一時的にこういう関係になることはある)から、一歩踏み出そうとする施策を講じてきたのでしょうか。

また一番重要な整備後の地元産業振興の為の有効な施策を講じてきたのでしょうか。

…道路整備事業そのものを自分のところへ優先的に振り分けてもらえるように、国会議員や国の役人への働きかけしかしてこなかったのではないのでしょうか。

30年にも及ぶこうした地方行政の怠慢は、公共工事に頼るしかない体質を生み出し、そのことは国(議員・役人)・地方・地元業者の間での利権を生じさせ官官・官民癒着の構造的問題を生み出す大きな要因になってしまいました。

こういう国・地方の構造的諸問題を抱える日本の現状では、今後いくら道路整備に税金を投入しても地方発展・地域格差是正には全く効果があがらないことは明白で、地方の国への依存体質をますます助長させるだけだと思うのです。

それならば今現在の最良の選択肢は、国民生活の負担が直接的に軽減される「暫定税の廃止」だと思うのです。

暫定税廃止で2兆6,000億円もの税収が不足することになります。足らなければ足らないで、何とかやりくりしようとするものです。政策内容の見直し(政策の有効性を検証・無駄な政策の廃止)、優先順位付けと予算の配分の見直しという流れは必然となるでしょう。

この流れは、地方が国への癒着・依存体質から脱却するまたとない絶好の契機になるような気がします。

国からの支援がアテに出来なければ、地方は独立し、自ら考え、自ら行動し、自ら育成し、自ら発展していくという方向性に転換していくしか生き残れなくなるからです。疲弊している地方には更に試練を与えることになりますが、変わろうとする時には相当の痛みは当然伴います。目指すべき変革の程度が大きければ大きいほど、その痛みは耐えがたいものになるかもしれません。

その試練を乗り越え真の地方独立がなされた時、初めて地方間をつなぐ交通網の整備は地方共栄のために意味のある事業となるのではないでしょうか?

少なくとも現在の国と地方のあり方では、道路整備は地方振興の有効な施策には全くなりえないと思います(むしろ無駄)。

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センバツ特集の記事。

本日(1月23日)付け報知新聞にて、センバツ出場校に関する特集記事が組まれています。

そこには塾高2本柱の一人、左腕・田村圭投手が写真つきで大きく取り上げられていました。最初見たときは「おおっ!田村君が取り上げられている。いい感じじゃないですか」と思ったのですが、読み進めていくうちに何となく漠然とした嫌な不安を感じて、素直に喜べなくなりました。

塾高は確かに神奈川準優勝・関東大会準優勝という成績を残し、センバツ出場はほぼ当確という状況になっています。しかしながら塾高を上回る素晴らしい成績を挙げた横浜には、2枚看板の好投手田山君・土屋君、入学直後の春季大会から主軸を打つ筒香君など、取り上げられても良さそうな好選手がたくさんいます。また明治神宮大会でその横浜を敗り、秋の日本一に輝いた常葉菊川の戸狩投手よりも扱いが大きいというのは…。

そもそも塾高の秋季諸大会における好成績は、田村君の貢献はもちろんですが、2本柱のもう一人・只野君や、キャプテン山崎君、鈴木君、内藤君…ら部員一丸となって戦ったチームワークの賜物であります。決して田村君一人の力で勝ち取ったものではないはず。それゆえ記事として取り上げるならば、塾高をチームとして紹介すべきだと思います。

駒苫・田中将大投手を「マー君」、その田中投手と決勝引き分け再試合の激闘を戦った早稲田実業・斉藤祐樹投手を「ハンカチ王子」と名づけ、本来の高校生・野球部員という大前提そっちのけで芸能人のごとくワイドショー的視点で私生活まで追い回したマスコミの過剰報道を省みた時、早稲田のライバル慶応の選手であること(早稲田斉藤の次は慶応田村?)、力道山の孫であること、という田村君を取り巻く環境が、新たなマスコミのターゲットになってしまうのではないかという不安感がどうしてもぬぐいきれません。

常葉菊川・戸狩君、東洋大姫路・佐藤君の記事と比較しても、田村君の記事の取り上げ方にはマスコミの作為性を感じずにはいられません。力道山の孫であるという話題性を必要以上に強調し、そこから勝手に名づけた「空手チョップ投法」(当の本人も、周囲の関係者も、誰もこんな呼び方はしていません)…。甲子園で戦うのは「力道山の孫」ではなく、塾高左腕エースの田村君なのですから、田村君の成績やこの冬錬の取り組み方を記事として詳しく取り上げてもらいたかったと思います。

同記事内で田村君は、祖父力道山を尊敬していることを認めながらも「正直悔しい。田村1世と呼ばれたい。」と「力道山の…」という取り上げられ方をされたくない旨のコメントをしています。本人の意を解さずに周辺外野が勝手に大騒ぎして、センバツに向けて非常に大事なこの時期の野球部活動、いや高校生活にまで重大な支障をきたすような事態にならないことを祈らずにはいられません。

最後に。

同記事内で田村君は、「慶応ということでお坊ちゃんと思われたくない。3度目の正直で横浜を完封して優勝します。」という力強いコメントも語っています。有言実行、是非目標を達成してください。遠くから静かに、でも心の中では熱く熱く応援させていただきます。

頑張れ、田村君!頑張れ、塾高!

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